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高卒就活1人1社制見直し検討の裏側

1人1社制は国の取り決め?

令和の今は変わりつつありますが、2019年に愛知県の県立高校が保護者に「進路選択について」として 配布している資料によると『国の取り決めにより高校生の就職斡旋は、10月までは「1回につき1事業所」しか行えません。(都道府県によっては応募方法が異なるので注意が必要です。)』とはっきり明記されていました。国の取り決めというと法律のようですが、この当時から実は法律は存在していません。

そんな法律はない、が正解です。

同じ2019年、内閣府は以下リンクのように高校生就職について、1人1社制を見直す旨を記載しています。(内閣府より https://www8.cao.go.jp/kisei-kaikaku/suishin/meeting/wg/hoiku/20190508/190508hoikukoyou02-1.pdf
この頃からすでに混乱していましたね。

謎規制のルーツを探ると…

この謎の「国の取り決め」はいつできたのか?をネットで調べていくと、出所不明ですが、とある都立高校でこんな内容の資料があったようです。『職業安定所との申し合わせにより、「職業安定法第25条の3」の規定に基づき、職業紹介業務をおこなう。』と。これは正確な情報ではないので確証がありませんが、職業安定法25条の3を調べれば意味がわかるかもしれません。

職業安定法は変化している。

ところが、現在の職業安定法25条は項目に分かれていません。条文では『第二十五条|職業指導の方法その他職業指導に関し必要な事項は、厚生労働省令でこれを定める。』とだけ記されていて、25条の3は実在しません。これはどういうことでしょう。分かる人いますか?

昔は二十五条は項目があった?

どうやら昔はあったようです。25条の3は、公共職業安定所と学校間の協力について公共職業安定所長(現ハローワーク)が学校長に公共職業安定所の業務の一部を分担させることができる旨の規定が記されていたという(これまた不確定な)資料がありました。それによると、25条では『学校で行うことの認められている職業紹介に係る業務は、(1)求人申し込みを受理すること、(2)求職申し込みを受理すること、(3)求職者を求人者に紹介すること、(4)職業指導を行うこと、(5)就職後の指導を行うこと、(6)公共職業能力開発施設への入所のあっせんを行うこと』だったようです。
しかしこの項目が本当はどうだったか、調べが甘くて明確な事実がわかりません。古いデータ(https://www.mhlw.go.jp/web/t_doc?dataId=75001000&dataType=0&pageNo=1)をみても答えがありません。

平成11年に改定された二十五条

しかしいずれにせよ、その項目は平成11年にはなくなっているようです。
衆議院のデータ(https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_housei.nsf/html/housei/h145085.htm)を調べると、この法律は削除されているようです。上記では6項目あるという情報があったのに「第二十五条の二から第二十五条の四までを削り、第二十六条から第二十九条までを次のように改める。」と記されています。これがわかる人がいたら、ぜひコメントください。謎です。

先生たちの斡旋代行の責任感

ハッキリしているは、1人1社制の話は一回も登場してきません。なのにルールが「国の取り決め」と言って施行されています。なんで?
これは高校の進路指導教諭の側から見ると理由が見えてきます。
「職業安定法に決められた職業紹介の任務を教員が代行するのだから、責任をもって就職斡旋をしなければならないという責任感」だと思うのです。ちゃんと一人ひとりを見定めて責任をもって斡旋を行う責任感の現れですね。
それはたいへん素晴らしいことです。

職業選択の自由はどこにある?

18歳成人になり、憲法では「職業選択の自由」が定められていますから、自由応募でもいい。だけど高校としては大事な責任を負っている。ここに法律のギャップが生じているんではないでしょうか。だからこそ国を上げて「1人1社制をはじめとする高卒雇用慣行の見直しについて」という方針も検討されてきつつあるわけですね。

圧倒的に不足しているキャリア教育

大学生でさえ職業選択には悩むんです。で、結局、大手だったり、人気企業だったり、地元だったり、処遇だったり、なんとなく決めちゃう。やんなきゃいけない時期が来たから、就活という習わしに乗っかって将来を決めちゃうんです。だから高校生に就活なんて難易度高すぎですよね。

大卒だって大きな損してる人がいる

高校生は仕事選びが上手にできるわけがない。だから、なんとなく行ける大学に奨学金制度を使って入学しちゃう。しかも今や、高卒だろうが大卒だろうが不問の企業もいっぱいあります。就職先は変わらない。だけど奨学金返済という重い荷物を背負って社会に出る。これってキャリア教育が間違ってないか?と思うわけです。

一生キャリア教育でいいという暴論

ではいつからキャリア教育なのか?と問うたら、それは誤解を恐れずに言えば、もう生まれた時から死ぬまで、ずっとキャリア教育を吸収していくのだと思うのです。学者になりたい。スポーツ選手になりたい。YouTuberになりたい。なんでもいい。一人ひとりが没頭できる道に進むための教育があってもいいですよね。で、プロはどんどん熟練度を増していく。
それができれば1人1社制度が良い悪いという話じゃなく、子どもたちの明るい将来設計が見通せると思うのです。締めくくりが雑ですみません。


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