20231126

インフルエンザワクチンの接種に行った。なかなか予約がとれず、訪れた病院は小児科院だった。事前にその情報は手に入れていたのだけれど、そこは予想以上に小児科だった。

待合室はファンシーな雰囲気で、誰が設計したらそんなに不自然に口が大きくなるのだろうと哀れに思うほどのドラえもんの壁掛け時計が妙に印象的だった。絵柄もふた時代くらい古い。テレビではトムとジェリーが流れていた。こういうときのトムジェリには一種の普遍性がある気がするが、どうだろう。僕以外に誰も観ていないという点も含めて。画面の中でトムがペラペラになる。少し笑えた。

Netflixを観たいという未就学児がいたり、スマホゲームをしている子がいたりして、自分が通っていた時代とは違うのだな、と思った。たしか自分は意味もわからず水滸伝のキャラクターブックみたいなものを眺めていた気がする。どうしてそんな本が病院の待合室にあったのかも含めてよくわからない。

でも、注射を怖がって泣き叫んでいる子がいたり、このあとの予定について駄々を捏ねている子がいて、こういうところは変わらないなと思った。タブレットで動画を観ていてもじっとしていられなくて、極端に椅子に浅く座っている子どもが目に入る。微笑ましい。ストレートネックに気をつけるんだぞ、と呟いて眺める待合室は無方向的なエネルギーで満ちていた。僕は入口に近い椅子で本を読んでいた。外気が入ってきて少し寒い。

近くの椅子で、看護師が子どもに自分の通っている学校の名前を確認する。すかさず母が学校の略称で応えると、子が「それじゃわからないじゃん」と潰れたクリームパンみたいな口調で訂正する。母は意に介さず、「学級閉鎖はしてないよね」と子に確認した。子は何も応えない。母親も学級閉鎖の有無はわかっているはずで、事実確認というよりは問いかけることにだけ意味があるのだろう。子の方もなんとなく答えを要求されていないことをわかっているからスルーする。むしろそれが自然な流れだ。それにしても学級閉鎖か。懐かしい響きだ。

僕の接種の順番が来て名前を呼ばれる。この病院は親の名前を呼んだあとで、子どもの名前を「くん」か「ちゃん」付けで呼ぶ。一人だった僕はそれまで「さん」付けだったのに、いきなり「〇〇(本名)くん〜」と呼ばれた。語尾の伸ばし方が子どもを呼ぶそれだった。なぜか少し恐縮したような気分で子どもたちの間を通って受付に行く。僕の名前を読んだ受付の方は特に気に留めていないようだった。マスク越しだったからわからなかっただけかもしれないけれど。アルコール消毒の確認を受けたあと、注射をうつ看護師の方に「さっき、くん付けで呼ばれてたね」といじられた。続けて「照れますよね」と言われたので「照れましたね」と正直に返した。看護師の方は相槌を打ってからスムーズにアルコール消毒の確認をする。

そう言えば小学生くらいの頃、僕は泣き叫ぶ代わりに身体が震えるぐらい力んで注射に臨んでいた。そのたび「力を抜いてね〜」と言われるのだけれど、僕は力を完全に抜くふりをして、いつも三割くらい力みを残していた。その後、真偽は不明だけれど、力むと注射が痛くなりやすいという話を聞いて自分の努力が逆効果だったことを知った。今はなるべく自然体でいるつもりなのだけれど、一周回って気にしているようにも思う。看護師は僕の腕に針を刺し入れて、「痛みますよ〜」と言う。実際にじんわりとした痛みが広がる。僕はその痛みを藍色に感じる。心の中で「痛てー」となるべく呑気に呟くと、すでに注射は終わっていた。

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