20240208
スマホケースに満足したことがない。次こそは長く、なんならこのスマホを使っている間はずっとこれでいいと思えるくらいのものを買おうと意気込んで、店や通販サイトを巡り、やっと出会えた気に入ったものを購入する。たとえば、好きなイラストレーターがデザインしたスマホケースを買ったりする。しかし実際にスマホにつけると、数日も保たずに不満を抱いてしまう。
飽きるのとは違う。そのデザイン自体はまだ気に入っている。つまり、それをスマホにつけることがしっくりきていないのだ。先のイラストレーターのケースの場合、イラスト単体では気に入っていたとしても、それをスマホにつけて過ごすことは、なんというか具体的すぎて重たかった。
スマホケースというのは、スマホ自体がプライベートの塊であるからか、外側に向いているものなのに内面に位置づけられているような感覚がある。一方、僕はファッションというやつが手に負えないので、いつも無難なものを着ていたいという気持ちがある。ファッションを楽しんでいる人は信じられないかもしれないが、僕は衣服を内面を表現するものだと思っていない。
でも、スマホケースはそうだと思っている節がある。むしろ、ファッションの楽しむ人が思っている「内面の表現」よりも、より生々しいようが気がする。内臓を見せている、というような。思いつくままに書いていたら、ある種のグロテスクなものとしてのスマホケースにたどり着いてしまった。
とにかく、そんな僕の自意識にぴったりなスマホケースに見つけたい。たぶん、「デザインが好き」というのでは駄目なのだと思う。「好き」は体内に入れるものじゃないというか。食べ物も身体に吸収されるのは消化されてからだし。そういう絶妙な距離感の、身体に馴染むような「気にいる」が必要なのだと思う。
他の人はどんな基準でスマホケースを選んでいるのだろう。僕よりも真剣に(深刻に?)考えている人がいたら、どんなケースをつけているのか。気になるところだ。ああでも、たぶんそういう人はケースをつけていないような気がする。
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