20240228

風邪をひいてしばらく寝込んでいた。高熱に悩まされるというよりも熱がなかなか下がらないのが大変だった。あとは鼻詰まりと鼻水が酷かった。自分の詩集のイベントが終わって、自覚こそなかったものの張り詰めていたものが緩んだところをやられたのだと思う。ものを書くことはおろか、読書もできなかったし、想像を巡らせることも難しかった。ずっとYouTubeのラジオ動画を聴いていて、内容はほとんど記憶に残っていないのだけれど、無音を埋めるためには必要だった。久しぶりに空っぽの頭で、生きることだけをしていた。

体調が回復してから、読みかけの小説を読んだ。布団から出ずに読書するのにちょうど良い姿勢が未だにわからない。最初は文体の流れに乗るのに抵抗があったけれど、案外すぐに慣れて読み終えることができた。それから後回しにしていた部屋掃除をしながら、急ぎで書かなければいけない依頼の内容を考える。まとまりそうだったので片付けを中断して書き進めた。なんとか依頼については先方に送ることができた。片付けは中途半端だったけれど、まあ良い。それからシャワーを浴びたらいけそうな思いつきがあって、大切に育てていくことを決めた。

体調を崩す前は、次の中長期的な活動とか、少し先の締切とか、そこから逆算される今やるべきこととか、そういうことを自然と考えてしまっていたのだけれど、それらはすぐに解消されることでないために、自分の中で目詰まりが起こっているような感覚があった。そういう感覚から自由になるための詩作をして、それが良いものになった実感もあったのだけれど、意識の方はまだ縛られている感覚が続いていた。そんなときに風邪をひいた。結果、その目詰まりが解消したように思う。

自分の中で遠い目標の存在感が弱くなっている。優先順位の遠近感を正確に測れるようになった、とも言えるか。これまでは、近く、比較的小さな課題と遠く、それゆえに大きな課題を同じ距離感で扱っていた。それでは結局どちらも処理することができなくなってしまう。それが目詰まりの原因だった。まだそれぞれを処理できる段階ではないし、目詰まりが解消したという感覚すら病み上がりの時にだけ感じられるものかもしれない。ただ、今考え方が風通しの良い状態なのは間違いない。

夜、珈琲を一週間ぶりに淹れたら、不思議と新鮮に味わうことができるようになっていて、静かに感動した。風邪をひくのも悪いことだけじゃないと思った。

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