20240419
(広義の)散文を書く企画がひと段落したので、中断していた〈日付〉を再開する。
基本的に制作をするのは夜なのだけれど、最近、気が向いたら朝に作業をするようになった。前日に早寝をして早朝に起き、歯磨きだけ済ませてまだ少しぼんやりした頭で机に座る。
何度か朝作業をして、朝には朝の良さがあることがわかってきた。結論から言うと、朝と夜では得意な作業が異なる。
朝には散文のドラフトを書いたりと、勢いが必要な作業が適している。詩作についても、すでに内容が固まりつつある作品をさらに展開させていく段階だと書き進みやすい。一方で、その前——何が書かれていくのかがわからない状態は、夜の方が進む気がする。
多分、起床したばかりという、その日の文脈がまだない段階では、すでに何かが書かれていて、進む方向がはっきりしている作業の方が集中しやすいのだ。雑念がなくて、身軽だから深く潜ることができる。
一方で、僕には適度な雑念——その日の文脈を利用しながら書いているところがあって、朝の身軽さは、イメージを膨らませている段階では寄る辺なさでしかなくなってしまう。
ただ、夜の場合は文字通り雑念が邪魔をして、上手く集中することができないことがままある。たくさん浮き輪をつけて潜水しようとしているようなものだ。
よく、アイデアや要素は溜まっているのに、どうにも書き始められないときがある。書き始めることさえできたら良いものができそうな気がするのだけれど、だからこそ踏ん切りがつかない。上手くいかなかったときのことを想像して怯えているのだ。そういうときは、ある意味では無防備に書き始めてしまえる朝の方が良いのだろうし、逆に勢いだけではどうしようもない、ある種思いつきが必要な箇所は、一日の文脈を利用できる夜が適している。
ずっと自分は夜型だと思っていたし、今でもその認識は変わらないのだけれど、新たな選択肢ができたことはありがたい。
ただ、ちょっとした困りごとなのだけれど、朝に作業をすると一日が長く感じられる。十四時から十六時までが体感で二倍に感じられる。あと、いつも朝食を食べないので、昼までの空腹がいつもより厳しいのも困りものである。
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