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「思惑」って「おもわく」でも「しわく」でも変換できるんですけど?

まず、結論を述べてしまいましょう。

一般的な場面で使うなら「おもわく」と読みます。「思うこと」の意味ですね。

ですから、「彼には自分が代わりにリーダーになると言う思惑(おもわく)があったのだ」などと読みます。

ところが思惑を「しわく」と読む人がいます。実際、私のATOKでは「しわく」と入力すれば一発で「思惑」と変換されますから間違いではありません。

が、一般的な場で「しわく」と読むのは、誤りです。どんな誤りかというと、「今月の売上から経費を引いたらいくらの利益が残る?」という文章で「利益」を「りやく」と読んでいるようなものなのです。

つまり、「思惑(しわく)」も「利益(りやく)」も仏教用語としての読み方なのですね。

ですから一般的な文脈では「思惑」は「おもわく」と読み、「利益」は「りえき」と読んでおいた方が無難です。

ちなみに仏教の「思惑(しわく)」は、修道で断ち切られる貪 (とん) ・瞋 (しん) ・痴・慢などの煩悩 (ぼんのう) を示すのですって。

ところで「おもわく」ですが、本来は「思う」という動詞の名詞化なので、「惑」を使うのはおかしいのです。「思わく」と書くのが正しかったみたいですね。

これは同じく動詞を名詞化した「言う→曰く」、「語る→語らく」、「老いる→老いらく」の仲間です。

ですから「思う→思わく」が正しい。

だって「思っていること」を意味する言葉であって、「思い惑っていること」ではありませんからね。

でも、仏教用語の「思惑」の影響を受けたのかどうかは分かりませんが、いつのころからか「思惑」と書くようになってしまったようです。

まぁ、言葉は生き物ですから「思惑」と書いても全く問題ありません。

ただ、読むときには普段は「おもわく」と読みましょう。「しわく」は仏教用語で意味も「煩悩」になってしまいますからね。

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