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「もの」や「こと」には、曖昧さが残る場合がある

「もの」や「こと」はとても便利な言葉です。

なので、私もけっこう使っているかもしれません。

便利な言葉なので使ってもいいのですが、中には必要がないのに使われている場合があります。

そのような場合は、読んでいる方も、なんとなく「まどろっこしい」とか「分かったようなわからないような」といった気分が残っているに違いありません。

たとえば以下の「もの」は、分かったような分からないような例です。

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スマートフォンは、どこでもネットで調べることができる便利なものです。
ライティングというのは、テーマによってはなかなかにやっかいなものです。
それが、努力が報われなかったときの虚しさというものです。
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まぁ、問題なく通じますし、文法的にもおかしくありません。

しかし、「分かったような」感が残ります。

もしかしたら、これらの「もの」は、本当は具体的に示せることを曖昧に済ませているためかもしれません。

そこで、具体的にしてみましょう。以下はあくまで例ですので、他の単語に置き換えられるかもしれません。

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スマートフォンは、どこでもネットで調べることができる便利なガジェットです。
ライティングというのは、テーマによってはなかなかにやっかいな仕事です。
それが、努力が報われなかったときの虚しさという感情です。
――

次に「こと」です。

まず例文をお読みください。

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その努力は報われることでしょう。
私はそのお宝を持ち帰ることができるでしょう。
このメンバーなら、勝てることもあるでしょう。
――

問題ないと思えます。しっかり意味は伝わりますし。

しかし、どこか「回りくどい」感が残ります。

ってことで、「こと」を省くか他の言葉に置き換えてみましょう。

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その努力は報われるでしょう。
私はそのお宝を持ち帰れるでしょう。
このメンバーなら、勝てる場合もあるでしょう。
――

いかがでしょうか。

「もの」や「こと」は使ってもよいのですが、もしかすると他の言葉に置き換えられるかもしれませんし、不要なのかもしれない、ということを、常に気にしておいた方が良さそうです。

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