その一言を付け加えるだけで差別的な発言になる悪魔の言葉とは?
私たちは日常の何気ない会話の中では、けっこう「ピー」な発言をしている様です。
その点、多くの人に揚げ足を取られかねない場で発言しなければならないプロのアナウンサーやコメンテーターがどれほど気を遣っているのかを想像すると、けっこうスリリングな仕事をしているなぁ、と感心します。
文章なら公開されたり印刷される前にじっくり推敲できますが、日常会話やライブ放送などでは、何気ない一言が命取りとなる可能性が高くなります。
そして、カジュアルな日常会話の中には、何気ない発言に一振りするだけで悪意のある言葉に代えてしまう悪魔のスパイスがあるのです。
それは、「なんか」「しか」「なら」「でも」などです。もちろん、他にもあるでしょう。
これらの言葉の一つひとつにはさしたる意味はありませんが、使い方次第でとても悪意のある表現を生み出してしまいます。
試してみましょう。
「ほう、お前はライターをやっているんだ」
上の言葉に「なんか」を加えると、
「ほう、お前はライターなんかやっているんだ」
と、突然ライター全員を敵に回す発言に変わります。
次に、
「はい。デザイナーは無理ですが、ライターはできます」
これに「なら」を加えると、
「はい。デザイナーは無理ですが、ライターならできます」
ライターをなめるなよ! とは反発されそうです。
もう一つくらい行きましょうか。
「彼はライターになれた」
ここの「でも」を加えると、
「彼でもライターになれた」
どんだけライターという仕事を馬鹿にしているのか、ダメな彼「でも」できるライターという職業はどれだチョロいのか、と思わせてしまいます。
よく、営業マンが、自社の製品がいかに使い勝手が良いかを強調したいがために、「大丈夫ですよ。お客様でも使えるようになりますから」と言ってしまうことがありますが、これは受け手の性格に寄っては相当に不愉快だと思われます。「わたしでもできる」ってどういう意味なの?と。
難しいのは、「なんか」「しか」「なら」「でも」などの言葉はいつでも悪意ある言葉になるわけではないことです。
要は、言葉には使う主体や使われるシチュエーションにより意味合いが変わってしまうという難しさがあることを言いたかったのです。
でも、うっかりやってしまうんですよね。