見出し画像

元駅猫のユウタが息を引き取りました

昨日(10月10日)の17:55頃、元駅猫のユウタが我が家で息を引き取った。
少し長毛でホワットした茶色の可愛らしい男の子だった。

ユウタ


年齢は14歳と8ヶ月ほどだったので、おじいさんだ。
しかし、先月まで我が家の他の猫たちと元気に走り回っていたので、まさか今年が最後の年になるとは思ってもいなかった。
ユウタはもともと小湊鐵道の養老渓谷駅の駅猫3兄弟(ネネ、ナオキ、ユウタ)のうちの1匹だった。
駅に住み着いたメスの野良猫(ミーと名付けられた)が駅で生んだ子たちだ。
それを駅長さん(故人)がかわいがって駅で育てた。当時の常務も、「駅に猫がいるのもいいんじゃない」といって許可してくれたのだそうだ。
駅猫たちは人気があったので、今でもYoutubeで「養老渓谷駅 猫」と検索すれば、彼と彼の兄弟が若かった頃の動画がたくさん出てくる。色んな人たちが撮影してくれていた。
いろいろなテレビ番組も撮影に来たし、中井精也さんや岩合光昭さんなどの有名なカメラマンにも撮影された。
鉄道会社も駅猫たちの人気にあやかるため、駅猫のキーホルダーをお土産品として製作して販売してみたり、テレビ番組などにも駅猫が取り上げられることに協力的だったらしい。
私も駅猫たちに出会うと、その暮らしぶりに魅了されて、週末のたびに車で駅に行き、ユウタたちに会いに行くようになった。ご飯やおやつを上げたりおもちゃで遊んだり、一緒にホームでくつろいだりして過ごしていた。
その頃駅で知り合った猫写真家のpukumaさんと共同で、『駅猫Diary』(洋泉社)という写真集も出版した。
https://www.amazon.co.jp/dp/480031139X/
ところがユウタが7歳でネネが10歳の頃(2017年の7月19日)に、鉄道会社が(老猫が駅にいると不衛生なのでという全く身勝手な理由だと仄聞したが)猫たちを駅から追い出すために捕獲したと元駅長さんから連絡をもらったのでとても驚いた。
連絡をくれた元駅長さんに、捕獲したネネとユウタはどうするのかを尋ねると、その答えに私は絶句した(あまりにひどい話なので書けない)。
そして腹がたった私は、慌てて2匹を我が家に引き取った。
もともと3兄弟だったのだが、そのとき既にナオキという名の男の子は病気で亡くなっていたのだ。
それでネネというお姉さんと弟のユウタを一緒に我が家に迎えた。

ネネ(奥)とユウタ(手前)の絆は強い


それから約7年間、ネネもユウタも私によく懐いてくれていた。
特にユウタは、私が外出先から帰宅すると必ず出迎えて短い尻尾をまるで犬のように振ってくれた。
私がソファーで寛いでいると、必ず隣に来て一緒にくつろいでいた。
そして私が部屋を移動すると、ユウタも一緒についてきた。
本当に、本当に愛らしい子だった。
この子たちと暮らすようになって、あのとき、とっさに引き取って良かったと思った。
その元気だったユウタが、先月からご飯をあまり食べなくなった。
しかしなぜかお腹は膨れている。
病院に連れて行くと、腹水が溜まっていることがわかり、抜いてもらった。
諸々の検査をしたところ、心筋症とガンを発症していることがわかった。
しかし高齢でもあり、手術や抗癌剤治療は行わず、症状を和らげる対処療法を選んだが、ユウタは予想以上に速く衰弱してしまった。
そして嘔吐が続くようになり、あっというまに息を引き取った。
最後は苦しそうだった。

しかし、ユウタの猫生は良かったのではないかと思う。
若く活力があった7歳までは里山の駅猫として(ひもじさや暑さ寒さ、ときに心無い人たちからのいじめなどがあったにせよ)外で自由に暮らした。
そして残りの7年間は、冷暖房完備、ご飯とおやつ食べ放題の家猫として穏やかな老後を過ごした。
ユウタと過ごせた時間が私にとって幸せであったように、ユウタにとっても幸せであったと思いたい。

ユウタ、今までたくさんの癒やしをありがとう。最後に苦しんだときに何もしてあげられなくてごめんね。
そしてさようなら。
でも、駅に帰らなくてもいいよ。うちにいてもいいんだからね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?