東日本大震災後、初めて訪れた被災地。大学生が感じて、出来ること。

画像1 僕がなぜ大学の夏休みに被災地に訪れたという理由が2つあります。一つは僕小学生の時に、幼なじみがいました。よく二人でサッカーをした仲のいい友達でした。しかし、その友達が宮城に小学校一年生の時に、引っ越ししました。それから年に一度、家族ぐるみで会ってました。そんな彼が、震災で犠牲になりました。そんな彼の被災地に約10年の時を経て彼の通っていた小学校に訪れました。大川小学校 震災で生徒の命が犠牲になった。避難所でありながら、命が犠牲になった。
画像2 もう一つは、10年たった今も、行方不明の方の捜索活動あると言うことを聞きました。また、震災を知る人たちが発信したい。けど、コロナで中々活動できないということを知り、自ら訪れて、今回”海の見える命の森”というNPO団体に参加して、訪れました。震災を知る人いるけど、震災を知る子どもは減るという現状があります。少子化です。もっと行動的になる必要があるように感じた。高野会館 南三陸町では甚大な被害が建物に被り、取り壊しが行われていたが、当時の津波の高さや、状況を後世に伝えるためと残された会館。
画像3 帰りは、宮城県の海の幸が食べられる有名な塩釜港でお寿司食べました🍣。

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