優先席から日本人について考えてみる
先日、私用で家族3人で大阪から東京に行きました。帰りは飛行機で帰るため、羽田空港を目指して電車を2本乗り継ぎました。トータルで移動時間は40分ほど。
2歳の娘と妊娠している妻と一緒なので、優先席のある車両に乗車しました。平日の昼間でしたが、満員というほどではないけどそこそこ混んでいる様子。席は空いていませんでした。
しばらくすると、娘は眠り始め、車内で抱っこすることに。2歳になってベビーカーに乗らなくなったので、東京にも持ってきていませんでした。右手で娘を抱え、左手でつり革を握り、足でスーツケースが動かないように支えていましたが、誰も席を譲ってくれませんでした。
乗り換えた次の電車でも、優先席のある車両に並んで乗車しましたが、あいにく誰も席を譲ってくれませんでした。途中下車したお客さんがいたので妻だけ座り、結局私は羽田まで娘を立ったまま抱っこし続けることに。
この状況で電車を選択したのが間違いだったと、自分の準備不足を痛感しました。
しかしそれにしても、なぜ目の前に妊婦や幼児がいても、誰も席を譲ってくれなかったのでしょうか。憤りに近い感情を抱いたの正直なところ。帰宅してからもこのことがずっと引っかかっていたのですが、最近腑に落ちたので、noteにまとめることにしました。
はじめに 〜優先席のあり方について議論をしたいわけではない〜
「優先席を譲ってください」「そもそも優先席いるの?」そういう議論をするわけではありませんし、言うつもりもありません。ただ、1つの出来事から自分なりに考察してみるだけです。
「空港にもう少し近いホテルに泊まればよかった」「タクシーを使えばよかった」と反省していますので、今度同じ状況で家族で旅行しても電車に乗るとは限りません。
しかし、東京のような大都市圏なら、妊婦の方や子連れで電車に乗ることはありますよね?
東京滞在中、席を譲ってくれた方もいました。たまたま、空港に向かうときに譲ってもらえなかっただけかもしれません。
でも、きっと今までに私と同じ思いをした人がいると思うのです。「優先席に座れなかった」のはなぜなのか、自分なりに考察してみるのがこの記事の目的です。
なぜ、優先席に座っていた人は譲ってくれなかったのか
まずは予想される理由について考えてみたいと思います。
①必要な人がいることに気付いていない・気付けない
「空いてたから座ろう」「必要になったら立てばいい」と思って座ったのかもしれません。しかし、電車に乗っている人のほとんどはスマホを見ているし、イヤホンを付けている人も多いです。妻のカバンにも、妊婦であることがわかるようにキーホルダーを付けていましたが、多分誰も見てなかったと思います。
②優先席だと気付いていない
①に近いですが、そもそも優先席であることを知らないで座っている可能性があります。電車が混んでいれば、優先席である表示も見えなくなるかもしれませんね。そのまま眠ってしまうパターンもあると思います。
③そもそも譲る気がない
優先席の設置を疑問視している人も一定数いるようです。設置していない国もあるようですね。「座れないと困るなら乗るな」と思っている人もいるかもしれません。
それ、昔の自分では?という視点
まだ家族がいなくて、1人で電車に乗っていた時の自分を振り返ってみました。
優先席にはなるべく座らないようにしていたけど、座ったことも何度かあります。お年寄りに席を譲ったことはあるけど、妊娠されている方に譲ったことはあったかな?という程度です。そもそも、今でこそバッジやキーホルダーをされている方もいますが、外見で妊娠しているかどうか分からない場合も多いですよね。
小さいお子さんがいる家族連れに遭遇したかどうかも記憶が曖昧です。
つまり、逆に言うと優先席を必要とするまでは、その程度の認識しかなかったということ。必要になって初めて、この席の大事さが分かるのです。目の前に座っていた人たちは、過去の自分だったかもしれません。
改めて優先席を必要としている人はどんな人たちでしょうか。お年寄りや障がいのある人、乳幼児連れの方や妊娠されている人たちが主ですよね。
つまり、優先席を必要とするタイミングは人それぞれであるし、経験しないとその大切さが分からない場所とも言えます。
決して若い世代や健常者に苦言を呈するわけではありませんが、自分事として捉えられる人とそうではない人がいるのは事実かと思います。
なぜ、中国の地下鉄では100%座れたのか
私は、2017年から5年間中国の深圳という大都市に住んでいました。4年目に第一子が誕生し、5年目は妻と娘と一緒に過ごしていました。家族で電車やバスなどの公共交通機関を利用することも多くありましたが、混んでいても、誰かしら席を譲ってくれたのです。
それだけに、東京の電車に乗ったときに「この違いは何だろう」と強く感じたのかもしれません。
そもそも、中国では過去の一人っ子政策の影響から子どもをとても大事にします。公共の場で多少騒いでも泣いていても、「子どもはそういうもんだから」と意に介さない雰囲気がありました。
娘が泣いていても、見知らぬ人があやしてくれることは割と普通です。1年間という短い間でしたが、おかげで周囲に気を遣いすぎることなく子育てすることができました。
余談はさておき、地下鉄で子どもに席を譲ってくれる人たちは、すでに子育てを経験している人だけかと思えば、そうではないのです。
高校生や大学生ぐらいの年齢の人でも、ばっちりメイクを決めてこれから夜の街に繰り出そうとしている若い女性でも譲ってくれるのです。カフェで隣になったら、声をかけてくれる人は多いですし、一緒に遊んでくれる人もめずらしくありません。
なぜか。それは、中国の人たちは小さい時から周りに大切にされているからだと気付きました。子どもの時に地下鉄やバスに乗れば、周りの大人が譲ってくれるから座れるし、何より譲っている大人の姿を彼らは見て育っています。
だから、自分がまだ結婚して子どもがいなくても、「そういうもの」としてすぐに動けるのです。
giveされないとgiveできない
この考察でたどり着いた1つの答えは、「日本にはそもそも譲られた経験のある人が少ない」ことです。
人間、いいことをされたら自然と誰かにしてみたくなるものですが、その「されてうれしかったこと」をそもそも経験していないのに、反射的に行うのは難しいのではないでしょうか。これは、電車の中に限ったことではないと思います。
ですから、外国のように「すぐ席を譲ってくれるような雰囲気のある国になってほしい」というつもりは毛頭ありません。土台が違いますから。
ただ、そのままでいいとも思いません。
フランクに「思いやり」のある行動ができる社会をつくるために、まず与え続けること。でもそれって大人になってから、見知らぬ大人にするのは難しいですよね。だから、社会として、子どもたちに与え続けることが大事なのではないでしょうか。
そうすれば、100年後には、席を譲ってくれる人が増えるかもしれないと思う今日この頃です。電車がまだあるかわからないけど。