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システム民主化の病み

社内システムはパッケージソフトを使って現場が作り上げることが多くなっている。システムに慣れてくると、あれやこれやと色々な機能を使いたくなってくる。しかしこれは危険なことであると思う。

そもそもそんなに難しくない業務をシステム化した場合、なんか良くわからない複雑なものが出来上がることが多い。色々な分岐を設定し、システム制御をかけ、強制入力機能をつかい、システムに操られ闇落ちしたような構成になる。

それで問題なく動いている場合はそこまで大きな問題にはならない。これは大きな問題ではなく、目に見えなくて、静かに蝕んでくるタイプの問題である。

安定的に稼働してしばらく経つと、そのうち誰かが課題を見つけてきて解決しようと言い始める。ぱっと見は簡単に解決できるように見えるが、作り上げられたシステム構成を見ていくとそうではないことに気づく。みんなの趣味趣向で追加され続けた、さまざまな分岐や制御や強制入力がシステム全体を意味もなく複雑化させ、少しイジろうとしただけでも、あちらへ影響、あっちをイジったらこっちに影響、、などが発生し、何かしようにもめちゃくちゃ時間がかかるのである。

その数々の制御やら分岐などを乗り越え、なんとかやりたいことができたとする。この新たに追加された改善策も、また新たに複雑化を生み出す部品となるのである。これは酷い悪循環である。やらなくていいことをやり続けることにより、もう後戻りできない状態となってくる。

ではどうしてそんなことになってしまうのだろうか。
それは、自分たちが作ったシステムが、そもそも何をするものなのかわかっていないからである。もう一つ、色々な機能を便利なものだと決めつけ、どんどん導入してしまうことも原因となっている。

これは素人複数で作り上げる場合は、もう避けて通れない道であると思う。システムをいじり始めると、だんだん楽しくなってきて、いろいろ試してみたくなることは当然ある。レゴブロックで遊んだことがあればわかるはず。最初は簡単な家とか道とか作ってみる。物足りなくなり入り組んだ設計の家や大きめの車だったりも作ってみたりする。

ただし、システムを組み上げるのはレゴブロックで遊ぶのとは違う。そもそもの目的みたいなものがあるのである。自分が作りたいものを作ればいいと言うものではない。しかも、複雑化したレゴブロックみたいなシステムは、後々自分を苦しめることにもなりかねない。

では、いったいどうすればいいのか。
それは、「とことんシンプルに作る」これだけだと思う。

上手い分岐なんていらない、システム制御なんてもっといらない。
システムなんてものは、メールと同じ。誰かから誰かに、簡潔ですっと伝わるメッセージを送っているだけだから。

友達に遊ぼうと伝えるだけのために、複雑なシステムはいらない。
電話で話せばいい、チャットを一通送るだけでいい。分岐はいらない。

「誰が、誰に、何を伝えるのか」

これだけ考えていれば、システムの闇に落ちてしまう確率はかなり減るだろうと信じている。


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