個人的にね、祖父が長崎の被爆者ということとか、平和教育をけっこうみっちり受けてきたこととか、地元の新聞社勤務時代に感じた「被爆地」としてのアイデンティティみたいなこととか。この映画そのものについてではないところ、そもそもの「原爆」というキーワードに対して複層的な感慨がありましてね。
被爆者の立場が政治的なものに転化された後の世代ですし「原子力」にほとんどアレルギーに近い反応をせざるを得ない勢力があるのはまあわかるし、とはいえエネルギー問題どうすんだ、みたいなところでフガフガしちゃうのにはずーっと違和感もある。
そういうの「考えなきゃいけない」ってうっすら先延ばしにした感じのところに、もっと別角度からの「考えなきゃいけない」をぶつけられてきたのでブワー膨れ上がって「考えさせられる映画だった」の後に続く言葉が出てこないのでしょうね。頭わるいな。