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主体性と世界モデルの関係について



世界と他者と自分はどういう順番で生まれたものだと言えるだろうか?動物(としての人間)が世界を理解する枠組みは、進化的な合理性から脳内に生まれ・育ってきた計算過程として理解されるべきだと思う。この観点から、他者や自己の主体性について、これまでに考えてきたことを説明してみたい。長らく温めていながら、これまでうまく言えずにいたことが、ようやくうまく整理されて言えるようになった気がするの。(なお、心理学・哲学・神経科学・人工知能・ロボット、そこらへんの話題です。ビジネスとか心理療法とかの話ではありません。)

主体性を英語で agency と呼ぶ。主体性を持つような対象を agent と呼び、単なる object と区別する。

agent = object + agency

強化学習するロボットなどを人工 agent と呼んだりするのを想定してよい。

(agent を代理人、agency を代理店と翻訳したりするのは、依頼主の代わりに主体的に動いてくれる人や機関というニュアンスだと思うが、ならば主体性にも依頼主→代理人→...といった階層があると思うべきかもしれない。この話はあとで詳しくやるかもしれない。)

sense of agency という概念があって、「運動などの動作主体が自分である感覚」「自己主体感」という意味で使われて心理学で研究対象になっているようだ。例えば自分の腕が思うように動かないときに、腕が自分ではないみたいに感じられるとき、sense of agency が失われたとか言うらしい。バーチャルリアリティ空間上のキャラクターを操作するときなど、操作系の設定次第で sense of agency が増減したりするのを調べたりもするらしい。

僕は、agency について語るうえで、主体が他者である場合も含めた言葉がほしいと思っていた。つまり、目の前にロボットがいて、その挙動に主体性を感じるとき、それを主体感 sense of agency と呼び、自分が自分の行動に主体性を感じるときに、それを自己主体感 sense of self-agency と呼ぶことにしたい。とりあえず、この文章の中ではそのように呼ぶことにする。

ここで主体性 agency とは正確には何を意味するのだろうか?

吉田さんが agency の正確な定義をするための議論を主題とする論文を紹介してくれていて、興味を持っていた。

これを、今日ようやく読むことができた。

Barandiaran ら (2009) はシステムが持つ主体性 agency の要件として、

(a)個別性=自身を環境から区別する能力を持つ
(b)非対称性=自身から環境への能動的アクションを行う
(c)規範性=アクションが規範/目的を持つ

の3点を挙げ、この3点を持つシステムであれば主体性 agency を持つ agent と呼べるのではないか?一つでも欠ければ主体性を持たないと言えるのではないか?と提案した。詳しい議論は論文を参照のこと。

僕はこの提案はまずは妥当だと思った。重要な順に整理してくれたおかげで議論に補助線が引ける。ただ、この議論の初手から大きな違和感があった。

僕の思うに、あるシステムを環境から区別して切り出すのは観察者 observer であって、したがって切り出しには常に観察者依存の恣意性が伴うのは当然なのだけど、著者らはagencyを定義するうえで観察者の関わりを明示的に否定する。

著者らが observer の役割を排する理屈は
「環境から個別システムを区別するのに観察者が必要なら、観察者システムを切り取る別の観察者が必要になり、無限遡行を生じさせてしまう。しかし、システム自身が観察者無しに自己を区別できることを主体性の条件として課せば、この問題は生じない」
ということだったのだけど、この理屈は通らないと思う。まず、観察者システムを環境から切り出す別の観察者を必要とする、というのが根拠不明だ。観察者システムがそこにあればいいじゃないか。観察者システム自体に agency が必要なので、そのためにこれを切り出す別のシステムが必要だ、と言おうとしているのかとも思ったが、観察者システムに必要なのは観察して報告する機能までであり、特にagencyは要らなさそうだ。無限遡行は生じない。一般にリカレントを含むシステムなんて世の中にいくらでもあるが、無限遡行だから動かないなどということはない。

この点が大いに気に入らなかったが、あえて著者のスタート点を修正して
「観察者が、ある対象システムを環境から恣意的に切り出したとき、それ主体性を持つか否かを判定するにはどうすればよいか?」
と問い直すことにするなら、著者らが提案する3条件は依然としておおいに妥当だと思われる。敢えて第一条件に観察者の役割をねじ込むとしても、この3条件のもとで議論はしやすくなる。たとえば、観察者依存の恣意性が広がる範囲を特定しやすくなったと思う。

sense of agency (運動主体感)について、以前に連ツイしたことがある。


このときはうまく書けなかったが、要するに、観察者が他者システムについて感じるsense of agency (他者主体感)こそが第一義的な本質であり、観察者が自己に対してそれを感じたもの(自己主体感)は、他者主体感からの類推で生まれた第二義的なものと理解すべき、というようなことを書きたかったのだった。

つまり、
「真のagency(=主体性)」なるものがあり、それを感じるのが「sense of agency(=主体感)」
という見方は逆なのであって、
観察者が対象システムについて、その主体性 agency の有無や大きさを感知することが第一義であり、主体性を抽象概念化したモデルがエージェント agent なのであり、この主体性感知の対象がたまたま観察者自身だった場合に感じるのが sense of self-agency なのである。
このように見るべきだと思ったのだ。

なぜ他者システムを対象としたsense of agencyが第一義か?もうすこし説明してみる。

ひとことで説明するなら

主体性を持つ(a)個別エージェントとして、(b) 非対称因果流の源泉になる対象を切り出してとくに注意を向け、各エージェントの (c) 目的などモデリングして挙動を予測可能にすることで、環境が予測・制御可能になるから。

である。

もうちょっと説明する。

動物は、脳内に世界モデルを持っていて、これを用いて環境の時間発展を予測するだけでなく、可能な行動オプションとそこから予想される帰結とその好ましさを計算することで、適切な行動決定をしている。

環境を構成する雑多な要因をオブジェクトにまとめて認識する機能は、世界モデルの機能の一部であり、これによって計算効率と精度とを高めているだろうと考えられる。もしもこの機能がなければ、雑多な高次元情報の海を理解することなど到底できないだろう。

環境世界を構成する多数オブジェクトの一部に主体性 agency を認める機能は、世界モデルに対してさらに気の利いた拡張を与える。われわれ動物が生きる環境では、少数のオブジェクトの挙動が支配的な役割を果たしており、その他多数のオブジェクトの挙動は支配者の挙動に対して受動的に決まる。因果ネットワークの上流に位置する少数のオブジェクトと、下流に位置する多数のオブジェクトとがあるわけだ。このとき、上流にいて支配的な役割を果たす少数のオブジェクトに着目して情報収集することで、低コストで素早く環境全体の趨勢を知ることができる。

動物種によっては、世界をオブジェクトにまとめながら認識するとか、その一部に主体性 agency を認めるなどの拡張機能を器質的に持たない者もいることだろう。こうした機能は、世界モデルの計算効率と予測精度(≒制御性能)の向上を通して自然環境の淘汰圧を生き抜くことに寄与するだろうから、進化的な獲得過程を経たものだろう。

ここで、ようやく「自己」の機能的意義を語ることができる。

自己とは、世界モデルを構成するオブジェクトの一種であり、そのなかでも主体性 agency を認めることのできる agent の一種である。したがって、自己の挙動は、世界モデルを通して、世界に与える影響の予測精度に寄与し、これを通して自然環境の淘汰圧を生き抜くことに寄与する。

一方で、自己主体感という装置が、世界モデルを通さずに淘汰圧に寄与する経路はちょっとみつからない。(ありますかね?)。「自己」なるものは、世界において特権的な価値は持っていない。世界モデルを構成するオブジェクトのなかで、比較的特別なものである agent の一種でしかない。なので、こっち(自己に関する主体性)は、他者一般の主体性と比べてどうしても二義的と言えるわけだ。

これで言いたかったことはだいたい言い切ったと思う。


(追記)平井さまから、sense of agency という言葉の使い方がミスリーディングであるという指摘を受けた。

1. 客観世界に素朴に実在するかのように扱われているagency
2. 観測システムの計算過程のなかに中間生成物として現れているagency
3. 観測者が主観的に経験し、実験時に報告できるagency = sense of agency

の3種類のうち、2 と 3 を混同しかねない点が問題ということらしい。本論では、1と2を区別し、2だけが大事と主張したつもり。2と3を区別せずにsense ofと呼んでいたが、2はinternal expression of agency (略して internal agency)などと呼んで3と区別しておいてもよかったかもしれない。


(追記)神谷さんから、ジャック・ラカンやニコラス・ハンフリーとの関連について指摘を受けた。関連性について整理しておかねば。





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