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李下に冠を正さず

 昨今の新型コロナの影響を受けて「マスク警察」という言葉が流行っている。マスクしてないとヤイヤイ言ってくる、しかもランナーにも言ってくるらしい。一般的にこの言葉はあまりいい意味では使われない。ランニングをたまにする私にとってはそんな人に出会ったらたまったもんじゃないなと思う次第だ。

 ところで、この「マスク警察」という言葉に関して少し面白い文章を目にした。「警察なんて言葉を与えるからあいつらは正義を盾にしてつけあがるんだ。」みたいな文章である。元の文章見つけられなかったのでたぶんところどころ違う気もするが、まぁこんな内容だ。

 いったんこれは置いて、言語学の話を少しだけ。「言語の恣意性」をご存じだろうか。例えば、「警察」が「け」「い」「さ」「つ」という言葉であること自体には何も意味がなく、人が勝手に与えたものだ、ということだ。一方で、言葉には対となる意味を持つ。これらをまとめると、「警察」が「けいさつ」という言葉であることに意味はないが、その言葉にはある意味が存在する、ということだ。
 例えば警察という言葉には、きっと正義の象徴といった意味があるんだと思う。そう考えると「マスク警察」ということばは本来的にはいい意味を持ち合わせていないといけないように感じる。その意味で、「あいつらに警察という言葉を与えるな」という指摘は的を射ているようだ。

 また、「ソーシャルディスタンス(以下SDと呼称)」という言葉も巷を賑わせている。これは幾分か有名だが、「SDはおかしい、これでは村八分の意味になってしまう。正しくはフィジカルディスタンスだ」と。これはすぐ考えればわかることだ。それでもなおこのSDが世間にはびこっていることがどうにも納得できない。きっと意味をあまり考えずに使っているんだと思う。
 
 言葉、言語というのは大事である。そしてそれらを扱うことは大きな意味を持つことだと思う。でもそれ以上に大事だとおもうのは、その言葉の意味をしっかりと理解した上で使っているかどうかだと思う。発する言葉の意味はしっかり理解した上で、発することを心掛けたい。

 ひとまず言えることは、出かける時はしっかりマスクをすること。そして走っているときは咳をしない、ということだ。

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