先ずは「ミライアル」コドモへの対策だろう。
『日本から「村社会」が消え、核家族化したことで、人と人とのつながりが希薄になり、それが虐待などの問題を引き起こしているという見方がある。シェア金沢の取り組みは、まさに新たな「村社会」をつくろうとしているかのようだ。~家族が崩壊した子供たちを、「町」で支えていこうという試みなのだ。実際にシェア金沢を歩くと、障害者入所施設の隣に高齢者向け住宅があり、女子大生と障害児が普通に会話をかわす姿が見受けられる。施設の職員と児童という関係だけでなく、そこにどちらにも属さない人々が入るからこそ、より人間らしい暮らしが可能になっていくのだろう。もう一つ、親に捨てられた子供たちで目立ったのが、非行少年だ。親の不適切な養育下で育ち、家庭から離れざるを得なくなった子供たちは、自暴自棄になったり、やり場のない怒りを抱えたりすることで、反社会的な行動に走ることがある。本連載でも、空腹から恐喝や万引きをしたり、薬物によって現実逃避をしようとした子供たちが出てきた。残念ながら、社会はこういう子供たちに温かくはない。どんな事情があれ、社会のルールを破れば、それに見合った対処をされる。少年院への送致はその一つだ。~親が子供を捨てる原因は、親だけにあるのではない。親をそういうところに追い込んでしまった社会にもある。ならば、社会は当然の責任として、捨てられた子供に手を差し伸べ、向き合う必要があるのではないか。』
私が育った昭和40~50年代の下町では親以外のオトナにも遠慮なく叱られたりしたものだ。だが既に産む側と成ってしまったオヤへの対策も必要だと思うが、先ずは「ミライアル」コドモへの対策だろう。両方ともできれば良いのは解るが背に腹は代えられない状況だと私は思う。
家を失った子供の「セーフティーネット」児童福祉の最前線を追う
育てられない母親たち㉙
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/59465
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