それには「足るを知る」ことができるかどうかなのだ。

『だが2世紀にわたる研究の結果、私たちはようやく、アダム・スミスの言う「見えざる手」がなぜ見えないのかを理解した。そんなものは存在しないからだ。「市場に任せる」というスローガンはもはや意味を成さない。かつて右派はこう考えた。市場を再編し、それに伴い政治も変えていかなければならない。こうしてレーガン政権時代から、最上層の人々に有利な市場の再編が始まった。だがそこには、大きな過ちが4つあった。第1に、格差の拡大が多大な影響を及ぼすことを理解していなかった。第2に、長期的な思考の重要性を認識していなかった。第3に、共同行動の必要性に気づかなかった。公正で持続可能な成長を実現するには、政府がそれを推進していかなければならない。そして第4に、これが何よりも重要な点だが、イノベーション経済を推進しながら、知識の重要性や、テクノロジーの基盤となる基礎研究の重要性を十分に理解していなかった。つまり、過去二百数十年にわたり資本主義の成功を支えてきた重要な要素を軽視した。その結果、当然予想すべきだったことが起きた。成長の鈍化と格差の拡大である。~そのような経済は、私たち個人や社会を望ましいものに変えてくれるに違いない。それは、大多数の市民が望みながらも、手の届かないものになってしまっていた「中流階級」の生活を市民に提供する、より人間味のある経済である。言うまでもなく経済は目的達成のための手段であって、目的そのものではない。第2次世界大戦後の数年間にはアメリカ人の生まれながらの権利だと思われていた中流階級の生活は、いまや大半のアメリカ人にとって手の届かないものになってしまった。~適切に設計され、十分に規制された市場と、政府や市民社会のさまざまな機関とが力を合わせるしか、新たな世界を切り開く方法はない。過去の失敗は、未来のプロローグとなる。テクノロジーの進歩を適切に管理できなければ、アメリカはディストピアへと突き進んでいく。格差はいっそう拡大し、政治はさらに分断され、市民や社会は理想とかけ離れたものになるだろう。自らの首を絞める資本主義を救う時間はまだある。』

さて「ご都合主義」のうさちゃんに「富の再分配」ができるだろうか?それには「足るを知る」ことができるかどうかなのだ。信仰が宗教となり「権力」や「権威」となって久しいがその「誘惑」から離脱するのは並大抵の心境の変化ではできないだろう。

なぜ「資本主義」は輝きを失ってしまったのか
ノーベル賞経済学者が提示する「新・国富論」
https://toyokeizai.net/articles/-/319516

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