昭和レトロな原風景はもう望郷というロマンでしかないのだ。

『確かにおじいちゃんの言うことも理解できなくはない……だが、本当に時代が違うのである。帰ってくるなり玄関にランドセルを投げ捨て、「いってきまーす!」と、元気よく公園に出かけていく子供。その背中に投げかけられる「宿題やったの!?」という母親の言葉もむなしく、日が暮れるまでサッカーや野球や鬼ごっこをしては泥だらけで帰ってきて「もう!こんなに汚して! はやくお風呂に入りなさい! 宿題も終わってないでしょ」なんて怒られながらも、夕食を家族みんなで囲む……。おじいちゃんの想像する昭和的風景は、おそらくこのようなものだろう。しかし……残念ながらこんな風景は令和には存在しようがない。ボール遊びや大声が禁止になった公園についてのツイートをしたところ、いろいろな人からの反響があったという記事だ。どうもコメント欄を読んでいると、多くの人が老人やクレーマーの度を過ぎた神経質な対応に怒りを覚えているらしい。が……都内で子育てしている親ならあまり驚きもしないだろう。ぼくも「なぜ今頃この話題が……」と思った。なぜならもう10年近く前からすでに都内の公園や団地の中庭ではボール遊び禁止のところがあったし、大声がうるさいという苦情もネットでよく出る話だったからだ。ぼくは4年前に九州のほうに引っ越したが、こちらの公園でも、都内ほどではないにしろボール遊び禁止の公園がある。特に市内。逆に田舎は土地が余っているせいか、おおらかというか無頓着だ。ともかくいまの子供たちは公園で遊ばないのではなく、遊べないのである。この状況で体を動かそうとすればスイミングスクールやサッカー教室などの習い事に通わせるしかない。しかし、習い事も毎日あるわけではない。それ以外の時に子供たちはどうやって遊んでいるのか? 当然ながらゲームをやるしかない。令和に生きる小学生の日常はこうである。「ただいまー!」帰って来るなりランドセルを投げ捨て、まずは宿題を終わらせる。塾の宿題は朝終わらせているので夕方は学校の宿題である。それが終わるとマイクつきのヘッドセットをつけてテレビの前の任天堂switchをオン。ネットに接続。ゲームソフトを起動。「○○くんいるー? きこえるー? 今日はなにする?」ネットを経由して数人が会話しながらゲームをすすめる。しばらくして、「あ、そろそろご飯だから切るねーまた明日」これだ。そう、令和の小学生の遊び場はすでにインターネット内のバーチャル空間なのである。我々大人の世代にはフィクションだった光景が今は普通にそこにあるのだ。~ぼくの家では休日に親子でアスレチックに行くかわりに2人でフォートナイトをプレイしたり、あるいは友達と公園の砂場で遊ぶかわりに、東京にいる友人親子とぼくら、4人でマインクラフトをマルチプレイすることもある。こうした状況が良いのか悪いのか、正直言ってぼくにはわからない。ただ、ぼくらが小学生の頃、大人たちが嫌っていたファミコンや漫画が、いまとなっては立派な日本を代表するコンテンツになっている例を忘れてはいけない。少なくともぼくは、あのころゲームや漫画を馬鹿した大人への憎しみをいまだに忘れていない。そんなことを思い出していたらだんだん腹が立ってきて、老人になにか言いたくなってきた。じっと老人を見ていると、ぼくの不穏な空気に気づいたのか、ぼくから目をそらし、ゲームをプレイしている子供の横に座った。そして、おもむろにスマホを取り出し、画面をクリックしはじめる。さりげなく画面を確認すると、老人はツムツムをプレイしていた。おじいちゃん……公園でゲートボールやったほうがいいよ……!そんな言葉がこみあげてきたが、あえてぼくはなにも言わなかった。そういえば最近は公園でゲートボールする老人も少なくなった。「老人の声がうるさい」と言われ、ぼくの知らないところで彼らも場所を奪われているのかも知れない。ヴァーチャル世界にも現実にも居場所がないとしたら、老人のほうが子供よりも辛い可能性だってあるのだ。』

1995年(平成7年)生まれの私の娘は両親の都合で東京ではなく田舎で育った。冬は片道40分かけて小学校に通ったりもした。都市集中化と田舎過疎化の両極端を推し進めた人口大量世代が老人となった令和では昭和レトロな原風景はもう望郷というロマンでしかないのだ。

「外で遊べ」と言われても外で遊べない…令和に生きる小学生の日常
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/68545

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