今の国会はヤジや審議不能など学級崩壊状態と同じである。
『「飲食店の家賃をタダにした大家の固定資産税は免除する」くらい、財務省さえその気になればすぐに実行できるのではないだろうか。国民が真に望んでいる政策があるのに、打ち出されるのは的外れなものばかり。どうしてこの国は、危急の時に限って対応が後手後手に回るのか。そこには、「お友達を周りにはべらせて、その意見ばかり聞く安倍政権ゆえの弊害」という点は多々あると思う。ただ、かつて霞が関に勤めていた経験から言わせてもらうなら、そもそも国会という場は到底まともな議論ができるようなところではないのだ。持論を蕩々と述べるばかりで、何を訊きたいのかよく分からない質問者。問われたことをはぐらかすばかりで、まともに答えようとしない答弁者。国会中継を見た方ならこんなシーンに見覚えがあることだろう。もちろん、切れ味鋭い野党の質問が大臣を追い込むことだってないではない。だが一方「桜を見る会」で首相とホテルの言い分が違うことを指摘し、「ホテル側に確認して書面で答えて欲しい」と迫る議員に対し、総理が「一々それに答えていたのでは予算が成立しない」などと答えて平然としている。これが会議と呼べる代物だろうか。出席者がそれぞれの意見を述べ合い、議長が落とし所を探って案を出し、多数決をとる。賛成多数であれば「それでは、そういうことで」と結論に至る。会議と言われて想定するイメージは、そういうものだろう。国会の実態とはあまりに駆け離れている。いったい、あれは何なのか!?今では広く一般にも知られるようになったが、そもそも国会の質問は前日までに役所に伝えられ、答弁は役人が作成する。以前、そのことを冗談めかして発言し袋叩きに遭った大臣がいたが、本当に彼らは役人の書いたものを読むだけなのだ。内閣人事で割り振られ赴任して来るだけの人達だから、基本的に各省の政策について素人同然。役人が書かなければ、答弁などできるわけもないのである。~国会とは制度上の最高意志決定機関だが、このように議論を深める場でも、迅速に最善策を探るところでもないのだ。かてて加えて今では、安倍内閣の「お友達体質」がある。お気に入りの側近の意見しか聞かないため、いいアイディアがあっても「進言したってムダ」の虚無感に包まれる。今井尚哉秘書官ら首相お気に入りの側近には、経済産業省の官僚が多いという。医療の専門家が集う厚生労働省の言い分より、経済の停滞を嫌う経産官僚の声が通って「緊急事態宣言」の発令が遅れた、というのは邪推に過ぎるだろうか。あってもおかしくない、と私は密かに思っているのだが。更にこれもよく指摘されることだが、内閣人事局の問題がある。省庁の幹部人事を内閣が掌握しているため、彼らに嫌われると出世できない。人事が全ての官僚からすれば、生殺与奪の権を握られているに等しい。政権に対し耳の痛いことを言って嫌われれば、出世の階段から外される。これでは何か意見があっても口にすることはなく、息をひそめておいた方がいいという判断にもなろう。~「族議員」には確かに問題もあった。だが彼らが政策に精通し、優秀だったのも事実である。担当する省庁に関して知らぬことなどない。一方、選挙区の地元の声もよく聞いている。このような議員がいれば、政策論議も活発にできる。よりよい政策はどれか、知恵を絞ることもできる。歪んだ構図で問題はあったが、こと政策立案能力という意味では有効に働いてもいたのだ。ところが今はそうではない。安倍一強支配が行き渡り、官僚は善意の発言すらできない。これでは先鋭的で、効果的な政策など打ち出せようはずもない。だから私はここに言いたい。時間と金をムダにするばかりの国会なんてそれこそさっさと閉鎖して、優秀で情報も十分に有するはずの官僚に本領を発揮させろ、と。不幸なコロナ禍だが、国民がこの根源的な問題を考えるきっかけとなり、少しでも体制改善の方向に向いてくれれば、と切に願う。』
今の国会はヤジや審議不能など学級崩壊状態と同じである。ヒトの集団は150人位までがちょうどよいと生物学等では言われている。それに比して現在の議員定数は衆議院465人参議院248人だとカオスに成るのは当然だ。議員定数削減と官邸の官僚人事不介入は是非実現して欲しい。
遅すぎた緊急事態宣言…元官僚の作家が語る「国会という茶番劇」の裏側
議論できないならやめちまえ!
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/71689