その答えは「ちゃんと生きないとロクな死にかたできないぞ!」だったのだ。

『死の瞬間は、決して悶絶するような苦しいものではないようだ。そのとき、意識を失ったまま、人は何も考えずに死んでいくのか。「死を予感させる瞬間」を体験したことがあるという、僧侶で作家の玄侑宗久氏に聞いた。「私が28歳のときでしょうか。7mもある木から下に落ちました。普通は2~3秒で地面に落ちるはず。ところが、木から足を滑らせた瞬間から、別の時間に入った。15分くらいあったのではないかと思うくらい、ゆっくりした時間のなか、走馬灯を見ました。無数の黒い枠のある写真が何枚も連なって出てきたんです。次々と見覚えのある場面が出てきます。シアターの観客の状態でした。それを見ながら地面に落ち、病院に運ばれました」不安も恐怖もなかったという。この体験により、玄侑氏は、死の瞬間には「完全な受け身」になるものだと自覚したという。「何かを考えている状態ではない。何かを享受しながら、なされるままになっていくということでしょう。私が見送った方のほとんどは、安らかな顔で眠っていました」怖がることはない。死の瞬間に見ることのできる「走馬灯」をより濃厚なものにしておくだけだ。~前出の前野氏は、「死期が迫ったとき、はじめて激しい心の変化を体験するのは、場当たり的な生き方にすぎない」と言う。「死ぬ直前になって、死ぬとはどういうことかと悩み、答えが見つからず、苦しみ、悲しみ、鬱状態になり、最後には疲れ切って『受容』する生き方ですよね。それよりも、あらかじめ死とはどういうことかをはっきり理解したほうがいい」長く生きてきて、その最後が訳もわからず混乱のうちに終わるのでは、その人の人生は虚しい。前野氏が続ける。「誰もが死ぬこと自体は理解しているのに、人は普段は死の恐怖にはさらされない。だから『余命宣告』をされた途端、急に死が怖くなる。しかし考えてみれば、人間はもともと『余命100年』を最初から宣告されているわけです。死を常に自覚しながら、思いっきり好きなことをして楽しく生きるべきです」宗教学者の島田裕巳氏は、現代の日本人の死生観は、長寿化によって明らかに変質したという。「敗戦後の日本人の平均寿命は50歳で、いつまで生きられるかわからないから死ぬまで生きるという死生観でした。ところが今は90代まで生きるんじゃないかという時代で、先があるのが当たり前だと信じて生きている。死に対する現実感が希薄になったといえます」死が遠くなりすぎ、いざという時に慌ててしまうわけだ。前出の平野氏も、現代の日本人は死を意識するのを避けていると見ている。社会が死をタブー視しているうえに、医療の現場では「死なせる」ための医療を志向していない。「いつまでも長生きするのが一番」――この言葉によって、「死」を考えることから人は遠ざかる。平野氏は無残な現場を何度も見てきたという。「90代にもなる高齢の男性が老衰で亡くなろうとしているとき、親族が一堂に会して『死ぬな』『死ぬな』と交代で何時間も心臓マッサージをしているのを目の当たりにしたことがあります。医学的にはもうできることもないのですが、冷静さを失っておられた」「平穏な死」よりも、「一日でも長生き」が正しいという考えがあったからこそ、家族も死を受け入れられなかったのだ。むしろ、死を意識することで、今の「生」をより濃く生きることができる。それこそが、うまく、よく死ぬためのコツでもある。めぐみ在宅クリニック院長の小澤竹俊氏は言う。「死を意識すると、日常の当たり前のことがすごく幸せなことだと感じられるようになります。傲慢になる気持ちを戒め、人の温かさに触れることができる。それだけでも、人生が充実したものになるでしょう」~「私たちがあまりに早く死んでしまう可能性が高いことはたしかに悲しみうるが、私たちがこれまで生きてきたのはまさに信じられないほど幸運であることに気づけば、その悲しみの感情は相殺されてしかるべきかもしれない」死を意識し、今の「生」を楽しもうではないか。~最初に断っておくが、正解はない。ただ死んだあとの世界をどう考えておくかは、よい死に方と直結している。~東大病院の救急部長として臨床の現場で日常的に死を見てきた前出の矢作氏も、あの世の存在を確信する一人だ。「死は、霊魂が肉体を離れて『あの世』に行くことです。我々の生きる世界は競技場のようなもので、あの世は観客席だと考えられます。人生という苦しい競技を終えると、霊魂として観客席に戻り、また競技をしたくなったら現世に出る。それに、人生は一度きりだと考えるのはあまりにも理不尽です。災害や事故で突然亡くなることだってある。『死は終わりではなく、魂は永遠に生き続ける』と考えることは現代人にとって大きな救いになるでしょう」~死後の世界への不安をさして感じないなら、あの世はないと考えても、なんの問題もない。あの世という宗教的な世界までは信じきれないが、(3)自然に還ると考えることで、安心できる人もいる。土に帰るとか、風になると考えるのだ。~「死後にまで自己を維持したいという欲望に囚われるから、死後の世界を考えてしまうのです。そこから脱するには、他人を先に立てて生きることを実践すればいい。何かをやっても損得を考えず、褒められることも期待せず、友達を作ろうとも思わない。座禅も助けになるはずです」人間は弱い生き物で、死後の世界を不安に思い、藁にもすがろうとしてしまう。どの説を採用するにせよ、それぞれの考えを深めれば、死への恐怖は和らいでいくことになるだろう。』

現代人はあまりにも死について考えようとしない。逆に遠ざけてさえいる。私はこれまでの人生で何度か死を意識しなければならない状況になった事がある。そのせいか自分の死をよく考える様になった。その答えは「ちゃんと生きないとロクな死にかたできないぞ!」だったのだ。

死は必ず来る。死ぬ瞬間はつらいのか、痛いのか、それとも幸福なのか
すべての先人たちが直面した悩みと現実
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/68398

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