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良い曲を書くために考えていること
最近ようやく、曲を気に入っていただけたりCDやサブスクで曲を聴いていただける機会が増えてきたし、同業者からも曲のセンスを誉めてもらえることも多くなってきました。大変ありがたいこと。自分はどういうスタンスで、どんなことに気をつけて曲を作っているか、常に考えていることを書き記しておきます。
以前も同じようなテーマで書いているけど、続きというか、ちょっと違った視点になるかな。
全ての作品は正解である
これは大前提なんですが、歌詞にしても曲にしても「全ての作品は正解だ」と僕は思っています。演奏や録音の技術はライブをやったり音源を発表してお金を取って聴いてもらうのであれば守るべきクオリティってものがあると思いますが、曲自体の判断基準は基本的には「好きか嫌いか」だけです。日々いろんな曲を耳にして、その都度「良い曲だな」「この曲はイマイチだな」と感じますが、それはあくまで僕の好み、僕の尺度であって絶対的なものではない。音源を聴かせてもらって感想を言わなければならない機会は割とありますが、サウンドやレコーディングについてのアドバイスはしますが作品自体に何か言うことはまずないです。売れなければならないメジャーレーベルの「商品」やタイアップなどといったクライアントからのオーダーに応えて作る場合のような商業的な観点を除外すると、作者が「良い」と思えればそれで正解なのです。なので、今回ここで書くのはあくまでも「僕だけの基準」と思って、個人の一意見と捉えていただきたいと思います。
長い曲が嫌い
曲の長さについてです。僕は曲を作る時は、長さを気にしています。例えばミディアムテンポ〜アップテンポの曲で5分を超えるようなものが(特に昔の曲には)ありますが、これは自分的にはNGです。できれば3分半〜4分前後、スローなバラードでも5分以内に抑えておきたいところ。理由は単純で、聴いていて飽きてしまうからです。自分の曲ならば酔ってしまうと聴けてしまうものですが、人の曲では長いと感じます。つまり、自分が酔いしれることができても他人が聴いたら飽きてしまうだろうということです。イントロも短めにしています。ただし、ライブに限っては間奏などのある部分を長くして演奏するのは一つの手段だと思います。単純なことが繰り返されるとテンションが上がってくるというのが理由です。ダンスミュージックやトランスなどはその類ですね。
曲の展開
これも「飽きさせない」ためなのですが、曲の構成や展開に工夫が必要です。いつまでも同じセクションを聴かされるのも飽きるし、例えば1番と2番でバックのアレンジを変えるなどの工夫をしています。
今の音楽では「ギターソロ」が敬遠される傾向にあるようですが「今流行っていることに迎合して今さらやる意味はない」とも感じるし、僕はそもそもギタリストだからギターソロは好きだし、やはり変化をつける意味でギターソロは結構高い割合で入れています。ただし長くなりすぎないように気をつけています。
上に書いた「曲が長い」以上に罪だと思うのが「実際の時間は短いのに長く感じる曲」なのです。
繰り返されるメロディや言葉
上記の「飽きないようにアレンジを変える」と矛盾するようにも聞こえますが、単純なメロディが繰り返されたり、同じ言葉を連呼するというのは耳に残りやすいものです。長すぎてはいけないというのが一つのポイントですが、僕の中の曲作りの1つの指標として「ライブで聴いたお客さんがライブハウスを出た後も何故か口ずさんでしまう曲」ということですね。これぞ洗脳!
「フック」が必要
簡単にいうと曲の中で、一瞬でもいいので耳に残る、引っかかる部分を作るということです。これは耳に残る言葉ひとつでもいいし、サウンド面でもいいし、コード進行、転調、色々な手段があります。必ず必要です。これも平坦な曲にならないようにする工夫であり、リスナーの耳に残るためのちょっとした仕掛けです。僕の曲はどの曲にもこういった部分があります。「推せる部分」という感じにもなるかもしれません。必須項目だと思っています。ただし、やりすぎると効果が減ります。
歌い出しに全力を注ぐ
これはちょっと歌謡曲寄りの考えでもあり、まだ僕も実践できておらず、これからこの手法を取り入れてみようと思っているところですが、昭和の歌謡曲って歌い出しの印象が強い曲が多いように思いませんか?サビを頭に持ってくる手法とは別で、Aメロの歌い出しが印象的な曲が多いんです。「ルビーの指輪」「もしもピアノが弾けたなら」「勝手にしやがれ」「六本木心中」探せばたくさんありますね。どなたか忘れましたが作詞家だったかな?歌い出しに一番力を入れているという話も聞いたことがあります。
そもそも「作曲の才能」とは
そもそも「作曲の才能がない」と自分でいう方がいますが、多くは
1:作ってきた曲の数が圧倒的に少ない。
2:聴いてきた音楽ジャンルの幅が狭い。
3:そもそも「曲を作りたい!」という気持ちが足りない。
このどれか、もしくは全部に当てはまると思います。1については、僕の場合はレコーディングをして作品にした、もしくはライブで演奏した、という条件を満たす曲がそろそろ100曲に届くかどうかというところです。自分で「ダサいなぁ」と思う曲もたくさんあったし、ボツになったものやまだ温めている段階のものを含めるともっとありますが、これでも作曲家としては決して多い方ではないと思います。この中でようやく評価が上がってきたのはざっくり70曲以降くらいだと思います。数曲作ったぐらいで「納得のいく曲ができない」と諦めてしまっていませんか?
ただし、僕は人の評価を得られなくてもどの曲も気に入っています。紛れもなく自分の作品であり、その当時は良いと思って作ったものですから。最初は人の反応はあまり気にしない方が良いかもしれません。
2も大きいと思います。人は全く触れたことのない作品をゼロから生み出すことはできないと思っています。以前どこかに書いたかもしれませんが、子供に「架空の動物を描いて」と言って絵を描いてもらうと、例えば体がキリンで頭がゾウとか、知っている動物の組み合わせでしか描けないという話を聞いたことがあります。音楽もこれと同じだと思います。様々な音楽ジャンルに耳を傾けた方がよりバラエティに富んだ曲を作れるであろうことは明白です。僕の音楽が「◯◯っぽい」と言われることが少ない理由はここにあると思います。あまり偏っていない。とはいえ僕もまだまだ世界中の音楽にもっと触れないといけないと思っています。これには終わりはありません。
1の部分で簡単に諦めてしまう場合、3のように、そもそも作曲への情熱が足りないのではないかと思います。これは楽器も同じで「ギターを買ったはいいがFコードで挫折した」という話はギターあるあるですが、これは単純にギターを弾けるようになりたい気持ちが足りないだけだと思います。
「好きこそものの上手なれ」という言葉があるように、好きで続けることこそ才能なんじゃないかと思います。もちろん研究や勉強は必要ですが、それも「良い曲作りたい」と思うなら自然とやるはずなのです。そして、最初に書いたように「全ての作品は正解」です。好き嫌いは一旦置いておいて、どんな曲だろうと自分で作り出したものを形にして披露する。このことに最大限のリスペクトを持っているし、誰がなんと言おうと「音楽活動」という括りの中で最も尊い行為なんだと信じています。