十勝鉄道研究 #2
(これは2020年に他の媒体に掲載した文章を加減筆したものです。)
十勝鉄道研究 #1 から続きます。
では、痕跡探しに参りましょう。さすがに昭和30年代に廃線になった十勝鉄道、痕跡を見つけるのは難しそうです。
ビート資料館前には工場前駅のモニュメントが。方向的に帯広方向を向いてない気がするのですが、わざわざ移設することもないと思うのであっているのでしょう。
イオン帯広店や北海道ホテル付近には、とてっぽ通りという廃線跡があります。ここは昭和50年代まで貨物営業していたので残っているのでしょう。
昔の機関車も保存されています。この機関車では戸蔦まで2時間かかるのもわかる気がします。
南下して、清川農場付近で痕跡を探します。
もともと十勝鉄道は農作物の貨物輸送がメインだったことを考えると、駅跡にはちょっとした集落があり、倉庫や農協の建物があったと想像できます。
実際清川駅跡付近には農協のAコープがあり、この辺だったのかなーという想像が掻き立てられます。
広野駅跡、戸蔦駅跡付近にもはやりAコープがあり。駅跡 = Aコープという図式は大きく間違ってはいなさそうです。
こちらは十勝鉄道清川農場付近。跡形もないですね。
こちらは清川農場から西にグイっと進路を変えた先、私の住んでいたところに最も近い場所です。おそらくこの辺かなー というところは畑ですが、なんとなく、路盤の跡が盛り上がっているような気がしませんか? 多分気のせいだとは思いますが、そう思ってみているとそう見えてきますw。
最後は、この区間で最も大きかったと思われる、藤駅跡へ行ってみます。
藤駅自体は西二線道路付近にあったと思われるのですが、そこから少し東にはいったところに桜山大仏という仏像(大仏というには小さいが)があり、その近くに、昔の藤駅がどんな感じだったかを示す碑がありました。
すこし引きで撮った写真がこちら。碑に書いてある商店が跡形もなくなくなっているのがわかります。
実際の藤駅は、木立のさらに奥。西二線道路沿いだったと思われますが、痕跡らしきものは一切ありませんでした。この碑だけが在りし日の藤駅の賑わいを伝えてくれます。
最後に、ビート博物館にあった資料にもどります。廃線となる前の川西駅の写真。川西以南が廃線になる前か後かはわかりませんが、戸蔦までの各駅もこんな風情だったのでしょうか。
十勝の発展に貢献した十勝鉄道、今もし残っていたら私の帯広の居宅から帯広市内に鉄道で行けたかも、と思うと想像が膨らみます、また時間をとってゆっくり廃線跡をめぐって痕跡を探したいと思いました。
※ 私は日本甜菜製糖さんから資料館訪問記念のグラニュー糖以外の収入は得ておりません。あくまで中立の立場となります(いちファンですが。皆さんスズラン印の甜菜糖をぜひ御贔屓に)。
駆け出し FP としてライフプランニングのお手伝いをしております。ご興味ありましたら是非!