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鮫とオオタニと私 (0)

プロローグ

フリーランス時代第1期

 2001年に結婚と共にフリーランスの道を歩み始めた私。1年目で240万円の売上に届かなかったら就職先を探そうと夫婦で相談していたのですが、幸か不幸か、世間はiモード事件のまっただ中。ネットワークもアプリもわかり、なおかつケータイ大好きな私は、人手不足の業界で重宝されました。この頃、中学当時の同級生が編集プロダクションを開き、多くの仕事を回してくれたのもありがたいことでした。

この友人はいま、新宿でレトロゲーム好きが集まるバー「16SHOTS」を経営しながら、ゲーム系の企画運営や執筆をしています。もし新宿でお時間を持て余したレトロゲーム好きの方がいらしたら、ぜひお店を訪ねてみてください。「重森の友達だ」と言えば、人並みのサービスを受けられると思います(ェ

ライターとしての安定、そして鬱へ

 初期はケータイ情報誌をメインに、次第にPDAに軸足を移しながらライターとして独り立ちし、その後エンタープライズITへと仕事の場を移しました。この頃多く手がけたのが、製品導入事例です。クライアントさんの先のお客様の現場に足を運び、現場を見て話を聞いて、広告用のリーフレットやWebサイトの記事にします。売上にして400万円台をキープできるようになり、もっと、という欲求も生まれました。「今年は行けるところまで行ってみる」と、年間100本以上のIT製品、ソリューション導入事例を書き、それ以外にコーポレートサイトのリニューアル企画、ディレクションや製品サイトの設計と執筆などをこなしたのが2014年。独立後最高売上高を記録したとともに、鬱病で倒れました。

 鬱の兆候に気づいたのは、2014年11月初旬。精神病に詳しかったので、早期に気づくことができ、すぐに新規受注を中止しました。しかしそのときすでに多くのバックオーダーを抱えており、消化しきったのは2015年を迎えてからでした。

 2015年1月、山積みのバックオーダーを片付け終わったところで燃え尽きます。1週間くらいはまともに動く気にならず、病院にも行けませんでした。これ、重要なポイントなんです。元気じゃなきゃ、病院には行けません。

 2015年1月半ば、やっと精神科を受診します。診断は、オーバーワークからの鬱病。想像通りでした。(詳細はAPPENDIXを参照ください

どこを目指して社会復帰すべきか

 外科や内科的な病気とは違い、鬱病では回復の基準は人それぞれです。「楽しく日々を過ごせるようになればいい」という人もいれば、「元の仕事に復帰したい」という人もいます。ゴールは自分で定め、そこに向けて医師と二人三脚で歩んでいくのです。

 私は、できるだけ元の生活に戻りたいと願いました。

 しかし、電話に出れば督促、メールボックスを開けば進捗確認。そんな生活に追われて鬱になった私が、いきなり広告案件主体の仕事に戻れるはずもありません。まずは、自分がやりたかったことからやっていこうと思いました。が、プロローグに向けた序章で書いた通り、広告の世界では自分の言いたいことや書きたいことは求められません。私もそれを良しとしてきました。

 ここで初めて、自分で書きたいことって何だと、物書きとしての自問自答を始めたのでした。

地方×ITへの想い

 大量の記事を書きながら、私の胸にはもやもやとした疑問が積もっていました。それは、情報発信の偏りです。インターネットは、世界の情報をもっとフラットにすると予想していました。実際、CGMやSNSなど個人でも発信できるようになり、情報発信自体は容易になりました。しかし注目してもらえるメディアに並ぶ記事はどうでしょうか。大企業、大都市での話ばかり。地方で頑張っている中小企業やNPO法人の話は、ほとんど取り上げられることがなかったのです。

 儲けよりもリハビリを優先するなら、会いたい人に会いに行き、書きたい話を書こう。それが、キャンピングカーで地方を巡り始めた理由でした。

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