わたしのいえと、にわのはなしー天国を出ていく。
こんにちは アイデアエディターの重光風歌です。
コルクラボのとっちーさんから、#勝手にコルクラボ のお題を頂いて、今回のnoteも書いています。
今回のお題は、
”誰かに「頼ることができた」経験は?
ということだったのですが。
むっ 難しい!!
幼少期ならともかく、「頼る」ということがむちゃくちゃ苦手ジャンルな私には、ハードルの高いお題でした・・・。
さてさて今回も行ってみよ!
天国を出ていく
さてさて、私の幼少期。物心ついてから、小学校に上がるまで。私は比較的天真爛漫に、母に守られながらのんびりとした生活を送っていました。
幼稚園から帰れば、東京の自宅の小さな庭で姉と遊び、自然と戯れたり、本を読んだり、紅茶を飲んだり。それは私にとっては理想の環境だったし、その暮らしは今でも夢に見るほど、美しく素朴なものでした。
春になればクロッカスやチューリップが咲きみだれ、生け垣の隅に植えられた月桂樹の木からは良い匂いがしました。春の花の美しさは忘れることができません。
帰宅すると、低い柿の木から飼っていた三毛猫が降りてきて、待っていてくれたのを思い出します。この猫は寂しがり屋さんで、誰かが帰ってくるかどうか、いつも木の上で見張っている猫でした(笑)
夏にはアーチの白いバラが花を咲かせました。庭中にはヘチマがツルをはわせ、家族みんなで使い切れないほどのたわしを作りました。
秋には柿の木の落ち葉がちり、みんなでしぶい柿を食べました。
冬には生け垣の山茶花が美しく、雪の間からピンクの花をのぞかせました。
家は築70年の、関東大震災を耐え抜いた古い日本家屋で、古くて隙間風が吹き、お風呂場にはよくナメクジが出て、「きゃあ」と叫んだりしました。
そのお風呂場で、母は私の頭をももに乗せ、よく頭を洗ってくれました。とても幸せでした。
7歳になってその世界を出るまで、私はべったりと甘く母に甘え・・すべてを委ねていたと思います。
当時はそれを、あまりにも当たり前だと思っていたのです。そう・・天国を出るまではね。
小学校に入ると、社会との接点が増え、私も私の庭に引っ込んではいられなくなりましたし、母との距離も、年令とともに段階的に離れていくことになり、徐々に頼らなくなり、私はある意味「まっとうな自立」を果たしたはずなのですが・・・。
でも大人になった今でも、私はどこかであの秘密の庭の入口を探しているのです。
つるバラのアーチをくぐり、レンガの踏み石があり、若かりし母が「おかえり」と言ってくれる、私の家と庭。
もちろん、私も自分の子どもたちには、違うけれど、私なりの素敵な「いえ」と「にわ」を作ろうとしています。
でもあの「いえ」と「にわ」は私だけのもの。
この生涯を終えるとき、私の心はあの秘密の庭に帰ることでしょう。
個人的な戯言を最後までお読みくださり、誠にありがとうございました。
※このタイトルは、エリナー・ファージョンの「天国を出ていく」(本の小部屋2)から取りました。素晴らしい本ですので、是非ご一読ください。
https://www.iwanami.co.jp/book/b269558.html