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grab bikeで風に吹かれながら考えたこれからのあれこれ。

日本は今どんな状況でしょうか。。

ここベトナムでは、ついに新規感染者が直近5日間ゼロになりました。
そして23日には社会隔離が緩和されるかもしれないとのことです。写真は会社前です。いつもなら車とバイクで埋め尽くされているのですが、交通量が激減!

そして、日本の給付金は受け取れない・・・ああ、40万円・・・・・

ベトナムの対策の良し悪しは別として、混乱する対策に関する経緯、感染拡大してしまっている日本を外から見ていると心配で仕方がないです。

さて、今日は趣向を変えて、grab bike通勤しながら考えた、コロナ騒動が与えてくれたビジネス上の気付きを、今後の自分の軸として書きます。

現状

今回の騒動で、私個人としては、ビジネス上での大きな影響を受けましたし、プライベート面ではベトナム政府の施策により、若干の不都合が生じています。
しかしながら、実は、実務上の変化はほとんどありません。
元々、日本および各国との連携は必然的にオンライン。日本側との企画もブレストもプレゼンも会議も全てオンライン。
しかも日本側でよくやり取りする方たちとはほとんどFace to Faceの面識がありません。
ベトナムのメンバーとも言語の問題があり、slackがメインのコミュニケーション。

東京から約4,000キロの彼方でもこれが成り立ち、さらにコロナによる影響がほとんどないという事実。
その事実は、オフラインでMustでやるべき仕事はそれほど多くないという再確認、そして、そしてその後に起こる変化に対しても気付きを与えてくれました。あくまで気づきです。

これから起こる変化

・機能の分散化が起きる
今までのビジネスはオフラインを前提とした社会を人は作ってきました。
その前提が崩れ、これからはオフラインとオンラインを統合したビジネスの在り方に変わっていくのだろうと思います。
企業の拠点数、テレワークは増加するでしょう。
拠点を分散化することでリスクも分散化が可能ですし、また、拠点を増やすことで人材獲得における面を増やすことが可能になります。
しかし、残念ながら、世界を旅しながら、企業で働くというのは、個人事業主でない限り、まだ先だと思います。
短期滞在であれば別ですが、ビザやワークパーミットの問題があり、一般人で所属企業の拠点もない国に長期的に滞在し続けるにはまだハードルが高いという制度上の問題が解消されないからです。
また、短期滞在であれば、フリーに動ける人でないと難しいと思います。

・グローバル競争は加速する
日本市場、対日系企業向けサービスでは「日本語」という壁がありますが、グローバルではLinkedinを少し覗けば分かる通り、言語の壁はどんどん突き崩されています。
ここホーチミン市でも、英語が出来る人材のボリュームは日本語が出来る人材よりも比較にならないほど多いです。
当たり前ですが、日本語学習者は世界的に増加傾向にはあるものの、ニッチな言語であることは変わりなく、英語学習者の方が増加率は高く、学習者の絶対数は多くいます。
そして、母集団の量に比例して、英語学習者の方が優秀な人も多い。
恐らく、渡航制限がしばらく続くとしても、多くのグローバル大企業がやっているように人材獲得、リスク分散の観点から世界の拠点を増加、分散化しつつ、オンラインで統合するという流れは加速していくでしょう。
そして、概ね合理性を重視する彼らは、そして、それを実現するための仕組みを進化させていくでしょう。
このような観点では、英語圏のグローバル企業にとって、追い風でしかないのではないでしょうか。
世界で戦うには今よりも更に厳しい競争環境になると思います。グローバルな競争は縮小するのではなく、拡大するのだとみています。

・人間のコミュニケーションのあり方が変わる
オンラインにおけるコミュニケーションがビジネスの日常となると、無意識のうちにコミュニケーションのあり方が変化していくと思います。
オフラインではうまく話せない人も、オンラインではチャットを併用したり、音声のみの共有にしたりすることによって、上手くコミュニケーションが出来るようになるかもしれません。
また、育児、介護などの時間も確保しやすくなる等、様々な状況にも柔軟に対応できるようになる。
様々な人、様々な状況でも活躍できる大きな可能性が生まれ、変な同調圧力や空気を読むことは減少し、多様性を担保したより彩豊かなコミュニケーションに変化していきます。
そしてそれを担保する機能としてのファシリテーターの重要度が増します。
また、一方で業務上必要な人と必要以上のコミュニケーションをしなくなると無機質な組織になってしまうため、インフォーマルなコミュニケーションをどう確立するかについてが重要な課題になると思います。

・ビジネスにおいて、「場」を共有することの重要性が増す
一緒に「場」を共有することの意味は問い直されると思います。
積極的、主体的に誰と「場」を共有するのか、共有したいのか。
時間と場所は代替がききません。必然的にトレードオフになります。
双発的なコミュニケーションも創造的なアイディアを生むコミュニケーションもある程度はオンラインで可能なように進化していく。他のことをする時間や労力を犠牲にしてまで、その場所に行き、時間を共に過ごす。その意味は何なのか、業務の中での位置付けとは。正解はない、~ねばならない、~であるべき、ということもない。それぞれがそれぞれの価値観の中で模索していけば良いと思います。

これからの自分


これを機に、僕はもう誰かの意見に遠慮して、言いたことを言わないことを辞めることにしました。自分を抑圧するのではなく、自分をちょっと解放してあげたいと思います。
ただの会社の課題解決屋さんではなくて、わざわざ「場」を共有するのであれば、一緒に想いを共有できる人と一緒にいたい。
会社を探すのではなく、仲間を探す。

出勤しなくても可能な業務に、エネルギー資源と労力とコストを使って出勤しなくても良いですし、家族との時間も増える。

自宅にいるだけで子供は笑顔になる。数年後には「どっかいけ」と言われるのでしょうが。。
家族と仕事の分断ではなく、家族と仕事を統合しつつ、生産性を担保していきたい。そもそも、第四次産業革命とコロナショックが起きているのに、働き方だけが進化しないということはあり得ない。

特に子供の成長は今しか見られない。二度とこの時間が戻ることはない。

また、海外は、さらに競争が厳しくなっても、視野に入れておきたい。

日本はどうみても硬直的で中々変わらない(失われた30年を後、何年続けるのだろう)。
権力が無い、権力が好きではない者としては、内と外、両方からアプローチし、気付いたら変わってたぐらいの静かなる変革を起こすことが一番現実的かなと思います。
そして、何よりも、世界は多様性に満ち満ちている。新しい気づきがある。想像の範囲外のことが沢山起きる。そして、そのことが何よりも楽しい。
彩豊かな世界とそれを支える器の大きさを。
人の心は善でもなく、悪でもなく、ただ単純に弱さを抱える。それを前提に器の大きい社会や会社が一番幸福なのかもしれない。
経済的価値と個々の人生の尊重を統合したい。

これから相当厳しい時代になっていきますが、そんな時だからこそ、どんな人もどんな時も活き活きと生きていける世界に。

偶発性に身を委ねつつ。

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