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御子柴道夫先生の思い出

以前にも少し書きましたが、大学でロシア語を習っていたのです。
当時はソ連崩壊の頃でした。

小さい頃から、新潟空港からハバロフスクに飛ぶ、イリューシンとかツポレフとか、西側とちょっと違ったアエロフロートが好きという感じで。

いや、わたしは共産主義者じゃありませんよ。
しかしアエロフロートの鎌にハンマーに翼のエンブレムってカッコイイじゃないですか。
キリル文字にも興味を持っていたということもあり、選択しました。

地獄の始まりです。フランス語を撮っていたのですが、格変化の数が……
それに固有名詞も活用する。
そして辞書を引くにもキリル語の順番なのでたどり着けない……
発音はなんとかなりましたが、いや慣れるまで大変でした。

御子柴道夫先生は千葉大学に所属していて、早稲田大学に非常勤講師という形だったかよく覚えていませんが、卒業履修単位として必要なものだったと覚えています。

私の子供の頃は、ブレジネフ、アンドロポフ、チェルネンコ、そしてゴルバチョフという時代でしたので、ソビエトの状況は分かりません。
先生はソビエトへの留学経験があったので、旧ソ連の様子を聞くのが楽しかったという覚えがあります。

御子柴先生は長野県の人でした。わたしは新潟県の人で、
「いや、新潟の人はプラグマティックで功利主義的」という話をしてました。たしかに田中角栄の時代が尾を引いてますから。
わたしも「長野の人は理屈っぽくて、議論している間にヨソにかすめとられてしまう県民」となかなか冗談もキツく飲み交わしていました。

当時、司法試験を受ける学生の憲法の教科書は芦部信喜先生(長野県人)と佐藤幸治(新潟県人)先生の両巨頭でしたが、司法試験を勉強している学生に、佐藤先生の教科書は回りくどくてよくわからん、と不評でした。
御子柴先生と、「長野と新潟は永遠にわかり合えない関係」とかそのような話をしていたと思います(笑)

焼き鳥屋で、いろんなネタを教えてもらったのを覚えています。
献本として発行した本を特別にいただきました
「ロシア精神の行方」という本です。
まあ、面倒な内容です。

もうお会いできないのは残念です。
いただいた本は大事にとってあります。
とても装丁が綺麗な本です。

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