十一人の賊軍
幕末から明治維新期にむけての戊辰戦争期の越後新発田藩が舞台である。
戊辰戦争は佐幕、新政府との内戦だけでなくいろいろな思惑が絡んだ複雑な戦争だった。
この映画に奥羽越列藩同盟の一員として米沢藩が登場するが、外様大名の上杉家が新政府につかず越後に進出したのは、上杉家祖先の地の越後を取り戻す思惑があったという。
かえって新政府の長州藩も毛利氏で、越後毛利の末裔。現在の柏崎市に居城があり、祖先の地を確保する思惑があった。
桑名藩は柏崎に陣屋があり、この土地は奪われたくなかったという。彦根藩は長岡市与板に支藩があり、この戊辰戦争の趨勢を決したのは旧幕府の重臣だった彦根藩が新政府側について、難攻不落の長岡城の前にある信濃川渡河の舟を出したことだった。
旧幕府府内の権力闘争だが、私の友人は結婚するとき水戸の家に挨拶に行ったら「長岡の者なら信頼できる」と父親からいわれたという。現在でもそうなのだ。
新発田藩は裏切りと言われるが、彦根藩の方が私としては許せない(笑)ひこにゃんの縫いぐるみをバットで打って、ノックしたい(笑)
桑名藩は盟友であり、三重県の人は信頼が出来る、と思っている。福島県もしかり
越後新発田藩といっても、自分には関係ないと思う人は、古くからの東京人ではない。
東京の生活に密着している。新発田藩の商人が大倉財閥であり、大成建設やサッポロビール、日本経済新聞社、帝国ホテル、ニッセイ同和損害保険、はては大倉組から始まった東京電力とかまあたくさんあります。
東京に最初に電灯がついた明治の文明開化の絵は大倉組本社の前の電灯だったはずですね。
あと東京大学です。東京大学医学部の最初の学部長に相当する総理は新発田藩医でした。東京帝国大学医学部で権勢をふるった入澤家は越後新発田藩です。
それに対抗して、長岡藩医の島峰家が設立したのが東京医科歯科大学であることは以前に書いたとおり。東京医科歯科大学創立は戊辰戦争の延長戦でした。東京医科歯科大学の創立者はわたしの高校の先輩になります。