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エディ・ヴァン・ヘイレンの訃報が意外にも衝撃だったこと

日本時間2020年10月7日朝、エディ・ヴァン・ヘイレンが65歳で亡くなったというニュースを目にした。この報せは僕にとっては「意外」にも2020年で、いや、今まで見てきたどんな有名人・著名人の訃報より衝撃的で悲しい報せだった。

「意外」と表現したのには訳があって、僕は常日頃から「特別強い影響を受けたギタリストはいない」と言っているし、カッコつけでも何でもなく本当にそう思っている。好きで聴いてきたギタリストは何人かはいるが、コピーはあんまりしたことがなかったし(できなかったという方が正確かも)、曲を作るにしても誰かを参考にしてアレンジするようなことはまずない。それにそもそももう何年も、TVで「Jump」を耳にするようなことはあってもマトモにヴァン・ヘイレンを聴くことなど下手したら20年近くないのだ。

じゃあなんで俺は訃報を聞いた朝の電車のホームで、関連記事を読むデスクで、涙が出そうになるのだろう。

ヴァン・ヘイレンと僕

初めてヴァン・ヘイレンを聴いたのは中学1年か2年だったと思う。ラジオでとあるギタリストが、自身が影響を受けたギタリストを数人紹介していくコーナーだった。そこに出てきた音源はひとまず全て買ったのだが、その中で一番ピンときたのがヴァン・ヘイレンだった(ちなみにこの数人の中にジミ・ヘンドリックスが入っていたのだが、その当時は全く良さがわからなかった)。

紹介された曲は1981年のアルバム「Fair Warning」の1曲目「Mean Street」だ。ちなみにこれはそのラジオに出ていたギタリストがキッズの頃に影響を受けたという話なのでリアルタイムではなく、リリースから数年経過した88年前後だったと思う。この曲はイントロがぶっ飛んでいて、ギターを始めたばかりだった僕はどうやって弾いているのかさっぱり想像がつかなかった。

ともかくヴァン・ヘイレンの映像を観たいと思った。近所のレンタルビテオ屋さんを探すと「Live Without A Net」というライブビデオがあった。これはアルバム「5150」の曲が数多く収録されていて、その次のアルバムの曲は入っていないと思うから86年〜88年あたりの映像だろう。

それまでライブ映像といえば聖飢魔IIとかTM NETWORK、あとはテレビでイカ天(知らない人は検索!)や音楽番組で日本のアーティストの演奏シーンを観るぐらいだった中学生の俺は、まさにぶっ飛んだのだ。

こんなに自由自在に走り回りながら、まるでオモチャのようにギターを弾く人がいるんだ!それも満面の笑みで楽しそうに!これは本当に衝撃だった。それまで俺が観てきたロックのギタリストはそのほとんどが眉間にシワを寄せたような、もしくは悦に入ったような表情で弾いていたし、ギターソロで決められたように前に出たり自らの立ち位置でリズムを取ったりはするけど、縦横無尽に走り回り、恐ろしいほどの柔軟性を見せつける開脚ジャンプをし、メンバーとじゃれ合いながら弾くギタリストは観たことがなかった。

このライブビデオをレンタルビデオ屋で500円か1,000円でダビングしてもらい(いいのこれ?)、文字通り擦り切れるほど観まくった。曲順はもちろんどこでどのカットになるか、どんなMCが入るか、どんなフレーズが出るか、完全に頭に入っていた。

それからアルバム「5150」を買い、テープにダビングしたものをヘッドフォンステレオに入れて持ち歩き、とにかく聴きまくった。記憶が定かではないが、学校へ持って行くのが許されるのは高校からだから、高校生の時の話だ。授業中も、テストが終わって余った時間にも聴いた(見つかったらかなりマズいよね)。

エレキギターは中学3年で手に入れていたからこの頃はコピーも試みたが、とにかくヴァン・ヘイレンは難しいからできてもイントロだけとか、一部分だけで諦めていたっけ。

高校時代に組んでいたコピーバンドではそれぞれがやりたい曲を持ち寄っていた。聖飢魔II、X(Japan)、あたりは高1〜高2で。それ以降は若気の至りで「日本の音楽聴いてちゃいかん」みたいなのがあり、Mr.Big、Guns N' Roses、NIRVANAあたりをやっていて、1曲だけ自分が希望してヴァン・ヘイレンの「Poundcake」を演奏した。これは93年に発売されたライブアルバム「Right Here,Right Now」を買ったのがきっかけだ。

これを最後ぐらいにヴァン・ヘイレンはあまり聴かなくなった。「5150」の頃の曲と比べると落ち着いた感じがしてきたのが大きかったように思う。確か「Right Here,Right Now」のビデオも買ったが、最初に観たビデオほど走り回っていなかったのも要因かもしれない。

エディ・ヴァン・ヘイレンの魅力

訃報を伝える記事では「ギターの神様」なんて表現がされていたりするけど、これはちょっと違うような気がする。彼は、生涯「ギターキッズ」だったんじゃないか。ギタリストならばご存知と思うが、僕なりの魅力をいくつか紹介したいと思う。

☆ライトハンド奏法を世に知らしめた

これはもう言わずもがな。左手で押さえ、右手で弦を弾くというのが基本的なギターの弾き方だが、右手を左手のように押さえる用途にして、不可能だったフレーズを滑らかに弾くことができる。初めて聴いた当時の人はキーボーディストがいるんだと思ったとか。これ以降現在に至るまで、テクニカル系ギタリストの必須テクニックであろう。

☆ロックのステージに笑顔を持ち込んだ

これもかなり大きかったように思う。前述の通り、それまではどちらかというと怖さとか不健全さ、SEX、DRUG、Rock 'n' Rollみたいなものを表現するのが定番だったものが、ニッコニコしながら弾くのだ。

☆ギターリフやバッキングのセンス

ライトハンドのような派手なギターソロが注目されがちで、それが嫌いな人はつい敬遠してしまうと思うが、それは間違いだ。リフや歌のバック、このセンスがずば抜けている。弾くのも相当に難しい曲が多いが、難しいことをやってやろうと考えてのことではないはずだ。ただ、普通の人は面倒くさがって(楽に弾けないから)避けるようなフレーズが多いような気がする。

ヴァン・ヘイレンが登場する以前のロックシーンをリアルタイムで知らないのでその衝撃具合を肌で感じることはできないが、例えばあなたが好きなロックギタリストも、エディの影響を何らかの形で受けていることにほぼ間違いはないはずだ。

例えばMr.Bigのポール・ギルバート、スティーヴ・ヴァイ、EXTREMEのヌーノ・ベッテンコートあたりもかなり好きで聴いたが、彼らはエディの影響を公言しているし、また彼らの影響でギターを始めた人だって、間接的にエディの影響を受けているということになる。

エディがいなければ、現在のロックギターの在り方自体が違ったものだったかもしれない。ロックギター界にそれほどの革命を起こしたパイオニアは、僕の知識の中ではジミ・ヘンドリックスと、エディ・ヴァン・ヘイレンだけだと思う。

今こそ言おう

さてこれだけ書くことができても、昨日までエディから影響を受けたという自覚はなかった。ライトハンドなんてまずやらないし、右手を指板上に持っていくことを考えただけでもちょっとした羞恥心が働く。

でも、YouTubeで久しぶりに「Live Without A Net」を観たらとても興奮したし、そこに散りばめられたちょっとしたフレーズや雰囲気も頭に入っていて、アドリブを弾く時やギターアレンジをする時にそれが無意識に出ているなぁと、素直に思った。「あ〜、これか!」と。自分は果たして誰の影響を受けて今のこのスタイルになったのか考えてもわからずにいるのだが、その一部がそこにあった。

もう何年も聴いていなかったバンドの、会ったこともない海の向こうのギタリストの訃報に衝撃を受けるのは実は「意外」でも何でもなく、エディのギターは自分のギタースタイルの一部に間違いなくなっていたし、何より自分の思い出そのものだからなんだ。エディを失うことは中学、高校の多感な時期の思い出、これが本当に幻になってしまうような、それが消えてしまうような、或いは散ってしまうような。胸が締め付けられるような想いだ。一夜明けた今も喪失感に包まれている。久しぶりの執筆もそのせいだ。

人には100%死ぬ日が来るのだからこれは仕方のないことだし、ずっと聴いていなかったくせに、長年癌と闘病していたなんて知らなかったくせにと自分でも思うが、今日から胸を張って公言しよう。

俺は間違いなくエディ・ヴァン・ヘイレンに大きな影響を受けた。




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