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ラーメン求道者の話

50代に入るとさすがに二郎系ラーメンなどは想像するだに気持ちが悪くなるし、純蓮すみれ系のこってり味噌も山嵐の魚介とんこつも今となっては受け付けない。ラーメンならオールジャンルOKだった昔の私の懐の深さはない。最近食べるラーメンは、澄んだ透明のスープや薄味の中華そばが多くなっている。ただ、そんな私でも、3ヶ月に一度は必ず行きたくなる、重ためのラーメンを出す店がある。

地下鉄東豊線の月寒中央駅から徒歩3分、佳という名前の店だ。昔から人気の店だが、彩未のような観光客も含めてあらゆる層を巻きこむ爆発的行列店ではない。土曜でも昼時を外せば、店内の待合スペースからはみ出た人が、店の前に7.8人が並ぶ、地元客中心の行列店である。駐車場のスペースは3台程度だが、何故か高級車で乗りつける男性客が多い。店内はカウンターのみで確か8席程度だったと思う。単身の男性客が5割、男同士で2.3人が2割、男女カップルが2割、その他1割。どの客も口数は少ない。待っている間、スマホで予備知識を蓄えるものもいれば、深呼吸をして来るべきタイミングに備えるものもいる。皆、渾身の一杯を最高のコンディションでいただくための準備に余念がない。

店主は恐らく40代。頑固一徹、一切の妥協を知らない人間国宝級のこだわりの男。かといって、往年の佐野実のように客を萎縮させる獰猛な雰囲気はない。彼は目の前のラーメン以外、何物も眼中に入らない。先天的にラーメン以外のことを考える余裕がないのだ。かつては突然店を閉めることが多々あって、そんな時は店頭に紙が貼ってあり、筆文字で「スープ不出来のため本日休業します」と書いてある。その昔、その貼り紙について「本当のプロとは」で論争になり、友人と朝まで討論したことがあったが、最後まで平行線だったことを思い出す。友人は、決まった営業時間でしっかり営業するのが本当のプロだと主張したが、私は佳=究極のプロ派だった。彼は「自分一人だけでラーメンの味をコントロールできる」ほどラーメンは甘くないと思っていた(はずだ)。つまり、その日の気温や湿度、微生物等の力によっても味は変わる。それらの自然条件を「ラーメン神」という言葉に置き換えても良い。ラーメン神の気まぐれによって、微妙ではあるが、味は変わる。常人には判別できないその味の違いを店主は見事に感じ取り、その日の営業を停止する。この人をプロと言わずに何と呼べばいいのだろう。ん、そうか、プロではなくて、求道者と呼ぶ方がいいか。

「プロ論争」の友人との間で佳については共通の見解を持っていた。それは、その店で提供される食べものは、ラーメンではないということ。ラーメンという言葉では括れない食べもの、否、もはや食べものという言葉ですら括れないものだということである。結果、友人との間で、それは「佳男というある一匹狼の生き様」であるという結論に至った。もちろん佳男は、店主の名前で、私の想像の域を出ない。ラーメンの中身に踏み込んで説明しないのは、言葉にするとあの生き様がたちまち陳腐化してしまうように感じたからだ。

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