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ある晩のキューピー

僕には、親と一緒の布団の中で眠ったという記憶がない。極端にスキンシップの少ない家庭で育った。きっとそのせいで、ずっと、気軽に人に触れることができない。20代の頃は、自然に、上手に、誰かの肩や腕にタッチできる人を見て、羨ましいとさえ思った。

「お母さんはね、抱き合うことや触れ合うことが好きじゃない、というか苦手なの」
僕が大人になって「一緒の布団で寝た記憶ないんだけど」と直接訊ねた時に、無遠慮に母はそう答えた。

物心がつく頃には、子ども部屋の2段ベットの上に兄、弟の僕は下で寝ていた。もともと一緒に寝ていないのだから、寂しいと思ったことはない。母親に一緒に寝て欲しいなどと考えたこともない。スキンシップがないだけで、僕は愛情たっぷりの家庭で育った。母は毎晩、私と兄が眠りにつくまで、ベッドの傍で、本を朗読してくれた。読書が好きで、家に大きな本棚があったから、毎日違う本を朗読してくれた。物語が最後まで辿りつかないうちに、僕は眠りに落ちてしまうから、別の日にも同じ話をせがむけど、話の途中の同じところまでしか記憶がない。

浜田廣介という童話作家の本があった。教科書と同じサイズの黄色い麻布のハードカバーで、背表紙には金色の文字で「濱田廣介全集」と書いてあった。その全集の中に、どれくらいの童話作品が収められていたかはわからないが、僕はそれらの童話が大好きで、中でも一番短くて、話の最後まで聴くことができる短編の「ある晩のキューピー」という童話が一番好きだった。話の内容はわかっているのに、毎晩のように「キューピーさんの話をして」と母にせがんだ。こんな話だ。

主人公のおじさん(多分廣介自身)はいつものように書斎で仕事をしていた。少し疲れて一休みした時、部屋の棚の上に裸で立っているキューピーさんの人形が目に入る。キューピーさんはずっと立ちっぱなしできっと疲れているだろう、と気になったおじさんは、キューピーさんを横にして寝かせてあげる。仕事を続けようと思ったが、まだキューピーさんのことが気になる。枕がないことが気になって、自分が使っていた鉛筆をキューピーさんの頭の下に置いて枕にしてあげた。

それだけの話だった、と思う。キューピーさんの思いを汲んで、お世話をするおじさんの行動に、嬉しい気持ちになるのだった。

あれから50年近く経って、私も立派な一人前のおじさんになった。廣介に共感したあの頃の自分と変わらず、ぬいぐるみを愛し続けるおじさんのままでいることに、少しの恥ずかしさと誇りがある。




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