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#4 仲間集め①
一人メーカーとして「モノを作って販売する」ことは決めた。さて、肝心な具体的に何を作るか、についてはもう少し時間をかけてじっくり考えるとしよう。その前に、仲間を見つけてスカウトすることを検討したい。人を巻き込むことで意思が折れないようにする効果もあるが、そもそも自分は全知全能の神とは違い、得意分野がはっきりしている。ということは、不得意分野もはっきりしている。ルーティーン業務が苦手で、間違いが許されない総務経理系の業務ができない。ここを信頼のできる人間にお願いしたい、というのが仲間集めの大きな理由になる。当たり前のことを素晴らしく実行できる人間はそうはいない。私にはその能力がない。無理にそこを頑張るよりも、餅は餅屋に任せるのが良いに決まっている。
そもそも日本人にとっては、仲間を集めて敵をやっつけるスタイルが伝統的な戦い方。犬と猿と雉を味方につけた桃太郎然り、赤だけでなく青と黄色と緑とピンクを追加し5人1組のチームとして戦うスーパー戦隊シリーズ然り。日本の伝統的英雄は、自分を過信しないし、決してスタンドプレイをしない。一人の脆さを理解しているから、チームで戦う。メンバーは自分の成功のために利用する存在ではなく、共通の目的に向かって価値観を共にできる仲間でなければならない。
能力があれば、それで良いということにはならない。その前に、気持ちを同じくできるかどうか、共通の価値観を持って共に歩めるかが大切な選択基準。もちろん、一から探すわけではなく、ちゃんと目星はついている。本村しかいない。
私が学生の頃はまだ四年の春が就活のピークだった。本村と私は同じ学部学科で同学年、彼は文化人類学、私は社会心理学を専攻していた。バブル真っ只中で勉強など眼中になく遊び呆ける同世代で溢れていた時代に、我々は毎日のように共通研究室に入り浸り、当時流行っていたニューアカデミズムやサブカルチャー、映画や音楽、演劇や祭りなどなど、ジャンルレスな議論を戦わせた。今思えば稚拙な議論もあったし、ハイレベルな議論もあった。必要以上にベタベタした付き合いはなかったが、就活では同じ広告会社を受験し、二人とも内定をもらう事となった。私は、この広告の道に進むことになったが、本村は結局この広告会社には入らず、探偵事務所に入ることを決めた。私は、自分の判断基準は「世間体より、自分が面白いと思う方を選ぶ」と思っていたが、本村と比べると自分はまだまだ世間体を気にして生きているのかもしれない、と思い知らされた。二人とも卒業して札幌に戻ったというのに、社会人になると、目の前の仕事の山に追われお互い会うのは年に1,2回程度に激減した。