承継問題
「あなたのような若くて前向きな人にこの団体を任せたい。」
30年続く環境市民団体に、運営委員の一人として携わってきた。私がこの団体に入ったのは13年前だが、会員の多くは発足当初から30年継続して会員となっている。平均年齢は70歳を越えようとしていた。政治団体との絡みは一切ないので、思想的にはリベラルだが、政治の話は基本的にしない。足元の暮らしを見つめ直し、社会のために意識を変えて暮らしをどう変えるか、ということを徹底して考えてきた利権絡みなしの硬派な団体。
会員の高齢化に伴い、年々自然減となり、今年その数が100名を切った。運営委員も、親の介護などで活動時間が確保しにくくなり、協議の末に来年の5月に閉会することとなった。
変節もなければ衝突もない。解散というには、あまりにも静かに、幕が降りる。閉会と表現するのがふさわしい。
長年環境問題に取り組んできて、度々思うことがあった。「これって意味あるのかな。自分だけがゴミを減らしたり、リサイクルしても世の中変わらないでしょ」
自分1人が変わっても、社会は何も変わらない。だからと言って何もしないというのは違うと思う。社会は変わらなくてもいいが、自分の生き方として、考えを貫いた方がかっこいい。自分の意思を行動して表明する。そういう人でありたいと、いつのまにか考えるようになった。
「あなたのような若くて前向きな人にこの団体を任せたい。」
今日の会議で長老たちに言われた。いや、私まだサラリーマンだし。組織の先頭になって会を運営するなんて、そんな責任を背負っても果たせる自信はない。即座にお断りさせていただいた。
「本当はこの会が続いてほしいと、皆思っている。私たち年寄りは若い人に引き継いでもらえると本当に嬉しい」
その気持ちは察する。察するが、余計に、そういう人生の先輩たちのプレッシャーがかかるのはキツイ。そして、私は若くない。もう54なのだ。確かに70歳を過ぎた長老たちにとっては、私などまだひよっこかもしれないが。
高齢化したマンションの管理組合メンバーや町内会役員の引き継ぎがままならないという問題は、全国いたるところで起こっているらしい。若い人たちが、そういう地域社会の中で必要な役割を担うことから、避けているとの話を聞き、そんな世の中を憂いていたものの、いざ自分に、同じような問題の矛先が向かってしまうと、完全に日和ってしまう。情けない。