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ジンギスカンの食べ方

1970年代、私が子どもの頃は、毎週末家族の食卓にはジンギスカンが登場した。私と兄は、テーブルに新聞を敷き、奥の部屋の押入れから、プロパンガスボンベとゴムホースで繋がったガスコンロのセットをテーブルに運び出し準備をする。ジンギスカンは冷凍保存された丸い肉で、食べる数時間前から常温で解凍されている。野菜はほとんどがもやし。たまに、キャベツや玉ねぎもカットされて一緒に焼かれていたような気もするが、覚えていない。野菜はどうせ食べなかったから。ベル食品のジンギスカンのたれを小皿に注ぐ。緩やかな凸面が黒光るジンギスカン鍋をコンロに乗せ、点火。鍋の中央にラードを置き熱で溶け流れるまで待つべきところ、待ち切れず鍋肌にラードをこすりつける。脂がよくしみ込んだ鍋の真ん中目がけ丸肉の塊をぶちまける。コンロの周りに敷いた新聞紙に跳ねた脂が四散する。その脂を抑え込むため、即座に、大量のもやしで肉塊を包囲する。

直に鍋に接する肉は、当然焦げる。牛肉と違って「羊はよく焼け」と言われていたから、赤い部分が残らないようにしっかり焼く。ところどころ焦げついた肉を箸で掴み取り、ジンタレにどっぷり浸けて白飯と一緒に頬張る。タレの味が濃く感じる時は、もやしで中和させる。腹が満たされるまでその作業を延々と繰り返す。

鍋全面をもやしで覆い尽くし、その上に肉を置いて蒸し焼きにする食べ方が、北海道に古くから伝わるジンギスカンの伝統的な食べ方だと主張する偽物北海道人が散見される。断じて違う。もやしの上で蒸す肉は、確かに、上等な生ラムであれば最善の美味しい食べ方だと思う。美味しいラム肉を美味しく食べるなら、それで良い。観光客に、そう奨めるのも良いだろう。しかし、北海道人が昔から食べていた羊肉は安肉なのだ。今の時代となっては高級肉だが、昔はどの肉よりも安かった。だから毎週末、イベントのようにおなかいっぱい食べられたのだ。北海道人はどうも見栄っ張りで、特に道外の人に対して、どうでも良い自慢をしたがるやらしさがある。もっと正直になった方がいい。道産子の自分だから敢えて言うが、北海道民は所詮、棄民をルーツに持つ人間の集まりなのだ。「北の国から」でも観直して、汝自身を知れ、と自戒を込めて言っておこう。そして、毎週末、食べていたジンギスカンは、貧乏人の食文化なのだと自覚しておこう。でも、それだけに思い出が詰まって、今でも、これからも大好物なのだ。

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