見出し画像

自分概要

1970年苫小牧市生まれ、札幌市在住。3人の息子は大人になって実家を離れ、この春から妻との2人暮らし。かつては階段下の物置部屋に追いやられ、幼少期のハリーポッターのように過ごしたこの家も、今は空き部屋だらけ。子どもたちに占領されていた部屋を無血開城にて奪還し、我が書斎として快適に暮らす日々。noteも再開して1ヶ月余り。少し慣れてきたので、改めて自分概要説明。



仕事人としてのキャリア

広告会社のプランナーとして民間企業の商品・サービスを企画したり、販売や集客の促進施策、官公庁の啓蒙・啓発活動やイベントなど、コミュニケーションに関わる諸活動全般を幅広く企画してきた。北海道のマーケットというサイズ感なので、企画の領域を飛び越え、自ら映像含む制作物のディレクションも行うことも多々。マーケティングなる胡散臭い術を駆使してクリエイティブを開発する、言い換えれば、ロジカルに人の欲望を(時には無駄に)掻き立てる仕事に、長い間従事。今思えば、ストレスのない自由な環境でわがままに働かせてもらっていた。

2023年、東京で病む

2023年1月、50歳を過ぎたこのロートルに謎に東京転勤の辞令が降る。1年間ギリギリ耐え、翌年2024年1月、翼を広げられない窮屈な業務のストレスが蓄積し、ついに病む。心療内科で受け取った適応障害の診断書を会社に提出し、2ヶ月弱の休職を獲得。休みの間は図書館に通い詰め、なんとか人の心を取り戻す。
きっと、普通のサラリーマンは理不尽への耐性を徐々に身につけて社会に適応していく。そうして我慢を続け、いずれは慣れて痛みに鈍感になり、結果、生き続けるための要領を得る。私もそのプロセスを経て耐性を持っているものとばかり思っていたが、私が東京で感じた理不尽には適応が難しく、故に適応障害となった。
休職期間、何度か会社役員と面談。退職覚悟でわがままをぶつけた結果、今後の仕事に関する私の希望は聞き入れてもらった。「新規事業開発」という会社の新しい部署(と言っても私一人)で新しい使命を授かり、この4月に札幌に帰還。

2024年、札幌でゆるりと準備を

会社が愚生のわがままを受け入れたからと言って、自分が会社にとって必要な人間と思われているかどうかは不明。会社に依存せずとも生きられる下地を作っておこう。もちろん、会社での使命を果たすことを大前提とはするのだが、余力で起業の準備をしておこう。したたかで緻密なプランを立てて実践しよう。愚生はそこそこ実績のあるプランナーなのですから。

noteで書き始めた理由

  1. 作ること、書くことが好き。文筆活動自体が楽しいから書く、というのが一つ

  2. 起業において考えていることを文章化し、自分の頭を整理することで、正しいビジネスの内容・方向に自らを導くために書く、というのが一つ

  3. 誰かに、自分の存在や価値観を知ってもらい、その中の数人にでも認めてほしいという承認欲求があるから書く、というのが一つ。

  4. 上記以外にも理由はありそうだけど、意識上にはまだ上っていない模様。

noteでこれから何を書いていくか

  1. 起業の進捗については、マガジンの起業記録「老兵の去り方」で不定期更新。

  2. 特に興味がある「食」「スポーツ」「映画」については、それぞれマガジンを作って不定期でネタを更新。

  3. ほか、日々の暮らしのこと、歴史、社会問題や話題の事件のこと、過去の思い出、家族のことなど、日々の雑感も徒然なるままに更新。

  4. 2日に1度以上の投稿を継続したい。そのために、1回につき1,000文字程度の尺に留める。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?