Save4.クリア報酬のないクエストVer.2
前回のセーブポイント後から、日数が経っているけれど、状況は変わらずの日常が繰り広げられている。
ただ、さすがに、骨折手術入院から戻ってきた10月中旬からはや3ヶ月。ルーティンと化した日常もあって、さすがに少しはリズムらしきものが掴めてきたように思う。
ざっくりと、1日を記録していこう。
朝。基本6時起床。自分の体調面から、5時半過ぎに起きることもあるけれど、概ねは6時前後。
私の日課としてルーティン化に成功した、早朝のトイレ掃除に始まり、自分自身のバイタルチェック(体重、血圧、体温計測、記録)、私の朝ごはんと昼ご飯(共にアーモンドミルク入りのコーヒーを作る)の準備、着替え。
7時半を目途に、義母の朝食(ロールパン1個、キャベツの千切り、きゅうりのスライス、プチトマトのカット、ハム2枚、リンゴ4分の1個、ヨーグルト、ホットミルク)の準備をして、義母の朝食はキッチンカウンターへ置いて、朝食コーヒーを飲みながら、化粧して身だしなみと出勤用の手荷物を整える。
8時過ぎに家を出る。
17時に退社。帰宅前に最寄りのスーパーへ寄って、日によってはメインをお刺身にすることもあるけれど、基本はお惣菜メインで買い物して、義母の朝食の補充分も考えたり、自分自身のご飯も考えたりしつつ、原則18時前までには帰宅。そのまま、まずは義母の夕食の準備。
義母の夕食の準備が整ったら、ダイニングテーブルにセッティングして、そこから自分のご飯の準備。食べる。
大体19時前には義母は食事を終えるし、私も大体19時半には基本、自分の夕飯分は終わっているので、一旦、義母の分も含めて、後片付け。
20時過ぎ、義母は翌日の分のお薬を振り分けに夕食後自室へ行っているが、リビングにお薬ボックスを持って戻ってきて、20時半前には自室へと引き上げる。
調子が良ければ、そのまま私は、飲酒しながらネットやTVを堪能するが、平日はほとんど、義母が自室に引き上げたあと、割とすぐ、21時前には私も寝室へと行って、ベッドへバタンキューな感じで1日が終わる。
気が付けば、自分に使う時間はほんとに極端に減ったなと思う。
You Tubeやネット環境がなかったら、私は「抜け」がなくて、もっと早い段階で、
あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”!!!!
となっていただろう。
自分に「抜け」が作れるスキルがあって、よかったと思う。
ちなみに、義母と夫による諸々のプレッシャーもあってのストレス感知ではあったとは思うが、そこには私自身の加齢による「更年期」も重なっていて、危うく自律神経をやりかけたので、慌てて病院へ行き、そこで漢方薬と降圧剤という「アイテム」をGET☆できたので、実はこの1ヵ月半で、精神衛生的には、かなり穏やかな日常を保てている。
更年期による障害症状は本当に自分の「意思」だけではどうにもならない事象なので、少しでも不安定感を感じる方がいたら、早期の受診をお勧めしたい。中でも、私自身、本当によかったと思ったのは、自宅近所に「総合内科」というジャンルを有するクリニックが存在したことだった。
婦人科に行ってもちっとも埒が明かなかった更年期障害症状の緩和を促す漢方薬を処方してくれたのは、婦人科ではなく総合内科の医師だった。しかも、婦人科の女医よりもちゃんと話を聴いてくれて、尚且つ的確な処置をしてくれて、本当に助かった。
閑話休題。
義母は、不平不満は全く言わず、おとなしく、というよりも実に楽しそうに、デイケアに週3日通っている。自分だって「高齢者」であることに変わりはないのだけれど、義母よりももっと重篤そうな高齢者を「観察」しては密かに愉しんでいるようで、私はその愉しみ方にちっとも共感できないどころか、どちらかというと不快な部類な話なので、義母にデイケアでのことは聞かないようにしている。そういう意味では、同じ性質なのもあって、夫は思い出したように義母にデイケアの話を聴いては、あーだこーだと話しているので、それはそれでいいかなと思っている。
そういうところこそ、夫にやってほしい面でもあったし、夫もそこは理解して積極的になってくれているのはよかったと思う。しかし、会話の終わりはやはり、お互いに意思疎通がうまくいかず、夫が半ば呆れた感じになるのだが、そこまでがワンセットのルーティンだと思えば、私としては苦慮が一つ軽減されていいと思うようにしている。
クリア報酬のないクエストは相変わらず、報酬がないだけではなく、およそクリアするということのないクエストが延々と続いているのだけれど、そもそも、何をもって「クリア」だとするのかは、私の胸先三寸であることも少しずつ受け入れられるようになってきた。
あとは、義母の様子がせめて、今と変わりない日々が少しでも長く続けばいいのだがとは思うのだけれど、そうはうまくはいかないだろうことを今朝思い知ることになった。
義母は病の最中に在る人で、その病は時を過ごせば治る病ではなく、むしろ時を経るごとに義母の身体を蝕むモノであり、義母の病が発覚してからまもなく1年になろうかとしているけれど、正直、今年の年末、去年末同様の義母で在る保証はないのだということを。
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