四王天但馬守事績碑 風景印と記念碑
福井県福井市にある中藤島郵便局の風景印には四王天但馬守事績碑が描かれています。
風景印のカタログ(日本郵趣出版の「風景印百科」)の印影では、この石碑が「四天王」但馬守事跡碑と誤って記載され、風景印の印影の碑文も「四天王」と書かれていました。おそらくある時点で修正されたものと思われます。
四王天但馬守
四王天政孝(?-1582)は但馬守の名の通り現在の兵庫県出身で、明智光秀(1528-1582)に仕え、本能寺の変の後、豊臣秀吉の追討にあい山崎の戦いで死亡しました。
弟(一説には子との説)に四王天政実(?-1623)がおり、山崎の戦いで紀州に逃れ青木秀以の家臣として1599年(慶長4年)越前に入ります。青木家が断絶後に結城秀康(徳川家康の次男で、越前松平家)の家臣となり、九頭竜川の舟橋の普請を任されました。
https://www.library-archives.pref.fukui.lg.jp/fukui/08/2019exhb/202001m/4.pdf
舟橋
たくさんの小舟を川に浮かべ、舟同士をつなぎ上部に板を渡すなどして対岸まで渡れるようにしたものを「ふなはし」とか「しゅうきょう」と言っています。
仮設でももちろん作られますが、江戸時代までは常設としたものもあり、九頭竜川の舟橋は48艘で柴田勝家によって設けられた200メートルほどの大きなものでした。現在は同じ場所に九頭竜橋が架橋されています。
記念碑の地図
九頭竜川にかかる九頭竜橋近くににあります。
碑文
中藤島郵便局
風景印は郵便局で押してもらえる絵入りの特別な消印で、色は赤茶色です。郵便窓口に「風景印を押して出してください」とお願いすれば、差し出す手紙やはがきに押してもらえます。また、63円以上の切手を貼ったカードなどに押してもらえます。その場合、差し出さずに持ち帰ることができます。
風景印は1998年(平成10年)10月10日から使用開始されたものです。郵便窓口は平日のみの営業です。