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もう一つの「春日局出生地」 風景印と記念碑

 岐阜県揖斐郡揖斐川町いびかわちょうにある揖斐小島いびおじま郵便局の風景印には春日局出生地碑が描かれています。風景印には地域の誇りが描かれることが多く、同局の風景印は春日局が生まれた場所をアピールするものです。

春日局(1579-1643)

 春日局については、兵庫県丹波の黒井で生まれたとする説の他に岐阜県の白樫城の屋敷で生まれたという説があります。丹波説については以下の記事に記載いたしました。

 春日局かすがのつぼねは江戸幕府第三代将軍徳川家光の乳母で、その幼名は「お福」といい、明智光秀の家臣斎藤利三さいとう としみつが父です。明智光秀は丹波の黒井城を1579年に落とし、斎藤利三に城を守らせました。お福が生まれたのはその頃であり、この丹波が誕生の地ではないかと推定されていますが、一方で元々の居城だった白樫城の屋敷こそが出生の地ではないかという説もあります。

 斎藤利三は明智光秀とともに山崎の戦いで1582年に戦死。お福は母の実家の稲葉家に預けられ、稲葉正成いなば まさなりに嫁ぎます。その後、1604年(慶長9年)家光出生に際し乳母となりました。家光が将軍となって以降は大奥の権力を掌握し、1629年、1632年の2回の上洛で「春日局」の名号と「従二位」の位階を得ました。

 白樫城主屋敷跡とされる場所が春日局公園として整備され、石碑が建てられています。白樫城自体は西方の山に作られていたのですが、古くに山崩れで失われているそうです。


記念碑の地図

 記念碑は春日局公園にあります。 


碑文

従二位
春日局
出生地
岐阜県知事
上松陽助

碑文正面

春日局は、天正七年(一五七九) 白堅城主斉藤利三を父に、稲葉一鉄の姪お安を母として、動乱の世にここ「角之御前」の屋敷内、通称「お局田」で出生し、四才迄育った。 斉藤家は、代々美濃国が守護土岐氏の執権として、初代白樫城主斉藤利安、二代斉藤利賢、三代斉藤利三 と続き、治世に力を尽したが、父利三は、母の兄明智光秀と共に乱世の京都にて散る。賢女お福「春日局」の生涯はここ白樫の地より始まった

碑文背面

揖斐小島郵便局

 風景印は郵便局で押してもらえる絵入りの特別な消印で、色は赤茶色です。郵便窓口に「風景印を押して出してください」とお願いすれば、差し出す手紙やはがきに押してもらえます。また、85円以上の切手を貼ったカードなどに押してもらえます。その場合、差し出さずに持ち帰ることができます。

 風景印は2000年(平成12年)11月1日から使用開始されたものです。郵便窓口は平日のみの営業です。


右が「春日局出生地」碑、左は「二条関白蘇生の泉」


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