古関蹟 風景印と記念碑
福島県白河市にある古関郵便局の風景印には古関蹟と書かれた碑が描かれています。「白河の関」の場所として紹介されることがある場所です。
白河関
「白河の関」は、江戸時代に設けられた街道筋の関所ではなく、古代の関所でした。
栃木県との境まで約3キロメートルの位置にある白河関の名は、「関の森」として、799年(延暦18年)の太政官符(国が発した命令書)に「白河・菊多剗守六十人」と記されており、少なくとも8世紀末には存在していたと考えられていますが、その後衰退し機能は無くなっていたようです。
古代の奥州への関所としては、勿来関(福島県)と鼠ヶ関(山形県)とともに奥州三関があったとされています。
関所はなくなった後も、平安時代の歌人・僧侶だった能因(988-1051)の和歌「都をば 霞とともに立ちしかど 秋風ぞふく白河の関」(「後拾遺集」)などが詠まれ、都人の憧憬の象徴、「歌枕」の中だけにその名が伝えられるようになったものの、その場所については不明のままという時代が長く続きました。
江戸時代に入り、白河藩を治めていた松平定信(1759-1829)は、歌枕の白河関の所在を絵画・記録や伝承などから考証を行い、1800年(寛政12年)に現在地に「古関蹟碑」を建立しました。
1959年(昭和34年)からの発掘調査では、縄文時代および奈良・平安時代、中世にわたる複合遺跡が見つかりました。1966年(昭和41年)に国の史跡白河関跡として指定されています。
現代でも「白河の関」は「東北地方」の入り口を示すためによく使われ、 東北地方の高校が甲子園の優勝校となった時、「深紅の大優勝旗が白河の関を超えた」などと使われることがあります。
記念碑の地図
白河神社にあります。
碑文
古関郵便局
風景印は郵便局で押してもらえる絵入りの特別な消印で、色は赤茶色です。郵便窓口に「風景印を押して出してください」とお願いすれば、差し出す手紙やはがきに押してもらえます。また、63円以上の切手を貼ったカードなどに押してもらえます。その場合、差し出さずに持ち帰ることができます。
風景印は1985年(昭和60年)1月23日から使用開始されたものです。郵便窓口は平日のみの営業です。