安井息軒先生誕生地 風景印と記念碑
宮崎県宮崎市にある清武郵便局の風景印には安井息軒先生誕生地記念碑が描かれています。
安井息軒(1799-1876)
安井息軒は日向飫肥藩の古学派儒者であった安井滄洲の次男として生まれました。もともと学者の家柄だったことになります。
1824年(文政7年)に江戸に渡り昌平黌(幕府直轄の昌平坂学問所)で学びました。1827年(文化5年)には飫肥藩が藩校を開設するに当たり帰郷し、父とともに儒学の教授を務めました。1841年(天保12年)江戸に三計塾 (さんけいじゅく) を開き、多くの英才がその門に集まりました。
1853年(嘉永6年)ペリー来航にあたっては『海防私議』を著して国防の要を論じるなど、幕末の尊王攘夷思想を牽引した人物であり、彼の主張は明治維新に大きな影響を与えました。1862年(文久2)64歳にして昌平黌の儒官に任じられるなど幕府の学問所のトップを務めました。彼の思想は、儒学の本家中国でも高く評価されました。
明治維新の後は官職につかず著述活動に過ごし、1876年(明治9年)に東京で没しました。
大正3年に発表された森鴎外の短編小説『安井夫人』は安井息軒の妻佐代を題材にしたものです。
記念碑の地図
安井息軒旧宅に記念碑があります。1929年(昭和4年)移築されていた息軒の生家をもとの場所に戻した際、宅地(息軒誕生地)が「半九公園」として完成し、徳川家達の書による『安井息軒先生誕生地』記念碑が建てられました。
碑文
清武郵便局
風景印は郵便局で押してもらえる絵入りの特別な消印で、色は赤茶色です。郵便窓口に「風景印を押して出してください」とお願いすれば、差し出す手紙やはがきに押してもらえます。また、63円以上の切手を貼ったカードなどに押してもらえます。その場合、差し出さずに持ち帰ることができます。
風景印は1984年(昭和59年)7月14日から使用開始されたものです。郵便窓口は平日のみの営業です。