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名寄岩顕彰像 風景印と記念碑
北海道名寄市にある名寄駅前郵便局の風景印には左に力士「名寄岩」の像(名寄岩顕彰像)が描かれています。
風景印にはその地域の誇りとなるものが描かれることが多く、名寄岩関もその名の通り、名寄の生んだスターといえます。立浪部屋三羽烏の1人ですが、後の2人の双葉山と羽黒山が横綱だったので、知名度が高くないのはちょっと残念です。
名寄岩静男(1914-1971)
岩壁静雄が本名。名寄市出身の関取で、最高位は大関。昭和7年に初土俵、昭和29年に引退。
真面目、頑固一徹、一本気の「怒りの金時」として、その相撲ぶりは「右四つ・すくい投げ・吊り」の妙技はファンを魅了・熱狂させました。大関昇進後は病気に苦しみ一度は十両陥落目前となりましたが、そこで敢闘賞に輝き関脇まで返り咲き、40歳まで幕内を務めました。
名寄にこだわり、師匠から贈られた四股名「緑川」も辞退して、名寄に本名の岩壁の一字をとり「名寄岩静男」にしたといいます。
大相撲で懸賞金を受け取る時の「手刀」と言う動作がありますが、これを始めたのが名寄岩で、多くの力士が真似するようになり、現在では規則となっています。
亡くなって10年後の1981年に故郷名寄市に銅像が建てられました。
記念碑の地図
名寄市スポーツセンターの敷地にあります。
碑文
角界生活を通じ郷土名寄を広く全国に知らしめ本市発展に貢献された親孝行力士、大関名寄岩の輝やく功績を永く頭彰し併せて青少年のスポーツ精神高揚の一助としたく、こゝに大関逝去十年目の年に当り本銅像を建立する。
大関・名寄岩略歴
一、本名、岩壁静男
一、出生地、名寄市西四条北二丁目
一、生年月日、大正三年九月二十七日
一、所属、 立浪部屋
一、初土俵、昭和十七年十月
一、入幕、昭和十二年一月場所
一、大関昇進、昭和十八年一月場所
一、敢斗賞、涙の歌斗賞として日活映画、 新国劇で紹介された。
★昭和二十五年五月場所 西前頭十四枚で受賞す
★昭和二十七年九月場所 西前頭三枚目で受賞す
一、奇跡の三役返り咲き、昭和二十八年一月場所、西正開脇 この間、双葉山、羽黒山と共に立浪三羽烏と呼ばれ角界に新風を送り活躍
一、手刀、名寄岩がはじめ今日に傅えられている。
一、引退、昭和三十年一月、春日山襲名
一、逝去、昭和四十六年一月二十六日
名寄駅前郵便局
風景印は郵便局で押してもらえる絵入りの特別な消印で、色は赤茶色です。郵便窓口に「風景印を押して出してください」とお願いすれば、差し出す手紙やはがきに押してもらえます。また、63円以上の切手を貼ったカードなどに押してもらえます。その場合、差し出さずに持ち帰ることができます。
風景印は1988年(昭和63年)2月23日から使用開始されたものです。郵便窓口は平日のみの営業です。
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