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梁田戦争戦死塚 風景印と記念碑

 栃木県足利市にある梁田やなだ郵便局の風景印には戦死塚が描かれています。

 幕末明治の歴史に詳しくなくても戊辰ぼしん戦争」という言葉は聞いたことがあるかと思います。「鳥羽・伏見の戦い」東日本における最初の戦闘が梁田戦争です。

梁田戦争(梁田の役)

 梁田宿は日光例幣使街道(中山道・倉賀野宿と日光街道・今市宿の間を結ぶ)の宿場として栄えた場所です。

 旧幕府軍と薩摩・長州を中心とした西軍との間で戦われた戊辰戦争は1968年(慶応4年)1月の「鳥羽・伏見の戦い」が発端となり6日には東軍(旧幕府軍)の将軍徳川慶喜よしのぶが大阪を脱出、新政府側の西軍が勝利しました。その西軍が徳川の本拠江戸城に向けて進軍を開始したことで、日本は内戦状態となりました。

 1968年3月9日早朝に、梁田宿にいた東軍(古屋佐久左衛門ふるや さくざえもんが率いる幕府軍)を西軍(薩摩藩・長州藩など)が急襲しその日の午前中に東軍が敗れた戦闘です。

 江戸城の開城は同年4月、明治元年への改元は9月のことです。戊辰戦争は会津での戦いが終結したのは11月、最後の箱館戦争が終わったのは翌年5月のことです。

 古谷作左衛門はその後も旧幕府軍で戦闘を続け、戊辰戦争最後の戦闘である箱館戦争で負傷し命を落としました。


記念碑の地図

 「戦士塚」は梁田戦争に倒れた東軍戦死者の墓であり、戦争の直後に建てられましたが、移設され長福寺にあります。


動画


碑文

戦死塚

慶応四戊辰年三月九日
戦死六十四人此地埋
梁田


梁田郵便局

 風景印は郵便局で押してもらえる絵入りの特別な消印で、色は赤茶色です。郵便窓口に「風景印を押して出してください」とお願いすれば、差し出す手紙やはがきに押してもらえます。また、63円以上の切手を貼ったカードなどに押してもらえます。その場合、差し出さずに持ち帰ることができます。

 風景印は1993年(平成5年)7月20日から使用開始されたものです。郵便窓口は平日のみの営業です。


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