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元寇記念之碑 風景印と記念碑

 長崎県松浦市にある鷹島たかしま郵便局の風景印には元寇記念之碑が描かれています。

元寇

 フビライ・ハンが率いる蒙古(元)による、2回にわたる日本への襲来を「元寇」と呼びます。

 朝鮮半島の高麗を支配した蒙古は日本の支配をも試みようと、国書を届ける使者を日本に派遣しました。日本はこれを侵略の予兆と捉え九州の防御を始めました。

 1274年(文永11年)10月に約28,000人の部隊が侵攻、対馬・壱岐を陥落させて博多湾に到着しましたが、大雨暴風が吹き蒙古の船が壊滅しました。この最初の蒙古襲来が「文永の役」です。

 2回目の「弘安の役」は、1281年(弘安4年)5月から7月にかけての長期の戦いであるとともに、送り込まれた軍の規模も14万人と数倍の規模でした。その主力となった旧南宋の軍勢10万人を率いた船は、7月27日鷹島に移動し、日本の軍も猛攻をかけました。7月30日夜に暴風が吹き荒れ取り残された蒙古軍の大部分は捕らえられ殺害されたそうです。

 鷹島は長崎県北部にある伊万里湾内の島で、2度の元寇で蒙古の襲来を受けた場所でした。2回目の弘安の役では、停泊していた蒙古軍がほぼ全滅する暴風があった「神風」の地です。

 記念碑は猿田彦神社境内にて1915年(大正4年)5月に着工し、翌1916年7月30日に竣工しました。

記念碑の地図

 記念碑は宮地嶽みやじだけ史跡公園に1976年(昭和51年)に移設されております。

 青年団主催による「元寇記念祭」が毎年8月30日に開かれています。鷹島には元の船や遺物があった海底遺跡「鷹島神崎遺跡」が国の史跡として指定されているほか、元寇にちなむ多数の碑があります。

碑文

元寇記念之碑
正四位勲二等李家隆介書

 李家隆介(りのいえ たかすけ 1866-1933)は長崎県知事を1912年から1917年まで務めていました。

 裏側にも石橋忍月(いしばし にんげつ 1865-1926)による「法学士石橋友吉撰」で終わる元寇経緯の碑文が記されているのですが、その全文は痛みが激しく確認しづらい状態になっているそうです。

鷹島郵便局

 風景印は郵便窓口で郵便物を差し出す時に押してもらえる赤茶色の絵入りの消印です。郵便窓口に「風景印を押して出してください」とお願いすれば、差し出す手紙やはがきに押してもらうことができます。また、63円以上の切手を貼ったカードなどに押してもらって差し出さずに持ち帰る(記念押印)こともできます。

 風景印は1955年(昭和30年)3月15日から使用開始されたものです。郵便窓口は平日のみの営業です。


玄界灘とブリも描かれています

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