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風葉碑 風景印と記念碑
愛知県半田市にある半田住吉郵便局の昔の風景印には風葉碑が描かれています。明治後期に活躍した小栗風葉の文学碑なのですが、今日顧みられることがない小説家かもしれません。
小栗風葉(1875ー1926)
小栗風葉は半田市の薬屋「美濃半」を営む家に生まれました。文学を志して上京し1891年(明治24年)に尾崎紅葉(1867-1903)に師事した小説家です。読売新聞に連載した長編『青春』(1905-06)は風葉の代表作で高く評価され、同時代の第一人者の地位を確立しました。
しかし、乱れた私生活と弟子による代作の疑惑の末、1909年(明治42年)に東京の文壇を離れ豊橋に住居を移しました。その後も通俗小説を発表し続けたものの、文学史からは忘れられた存在になってしまいました。
尾崎紅葉の『金色夜叉』の続編となる『終編金色夜叉』(1909)は小栗風葉によるものです。
記念碑の地図
雁宿公園にあります。
碑文
風葉碑
昭和廿七年八月
籌子書
小栗風葉君名は磯夫、 明治八年半田に生る、 年少錦城中學に思軒逍遥の講義を聴き又紅葉の作に感憤、 後紅葉の門に學び處女作「寝白粉」に次で 「亀甲鶴」 を發表し文名忽ち揚る、 長編 「戀慕流」 中編 「十七八」 「鬘下地」 を発表するに及び才華彌々煥發廿四五歳にして既に大家の域に達す作風亦能く師の風韻を傳ふ、 丗八年讀賣紙上力作 「青春」 出て名聲藝壇を壓す名作「戀ざめ」 是に次ぐ、 四十二年秋漸く情熱の生活に疲れ師崎に退き瞑想を事とす、 半歳にして夫人籌子女史と豊橋に地をトし感興を建築造庭 に寄せ風流を弄ぶ而も一日も藝術を忘れず窃に期する所ありしに惜むべし大正十四年遽に病を得十五年一月五 十二歳にして長逝す
昭和十年四月
秋聲誌
半田住吉郵便局
風景印は郵便局で押してもらえる絵入りの特別な消印で、色は赤茶色です。郵便窓口に「風景印を押して出してください」とお願いすれば、差し出す手紙やはがきに押してもらえます。また、63円以上の切手を貼ったカードなどに押してもらえます。その場合、差し出さずに持ち帰ることができます。
風景印は1987年(昭和62年)4月1日から使用開始されたものですが、2016年(平成28年)11月10日に風葉碑が外された図案に変わりました。郵便窓口は平日のみの営業です。
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