![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/18664908/rectangle_large_type_2_6d10dcbf9166bf7c970f343da5affe5a.png?width=1200)
交流の罠
交流することに意味がある。
って考えて、
違いを尊重して受け入れることを、
大切にしている。
でも実はそれって、
すごく不自然なことなのかもしれない。
自分にはあまりこだわりがないから、
受け入れることに抵抗感も少ない。
こだわらないことにこだわってることも、関係してる。
拒否することも、自分と相手を尊重する、一つの形だとするなら、常に相手に合わせていくことって、自分を尊重してないってことになる。
自分の価値観に対して、そこまで強いこだわりはないから、相手を尊重してしまった方が、ラク。
無意識のうちにそういう選択をしている自分もいる。
でもそれは、交流して理解することの大義名分に酔って、自己満足してるだけなのかもしれない。
だとしたら、本当の意味で理解しようとしてるってことにはならない。
なんでもかんでも自己主張して、相手を突っぱねて、ぶつかりまくるのも、どうかとは思うけど、全てを受け入れてしまうことって、ある意味、全く受け入れないことと同じなのかもしれない。
相手を尊重するために、自分を押し殺し続けてる?
妥協して迎合することが、クセになってしまってる?
だとしたら自分は、交流という名の罠にハマってることに気づいてない、それでいていい気になってる、能天気野郎ってことになる。笑