好きなことだけで生きていくことの意味
ちまたには「好きなことをして生きていこう」っていう言葉が溢れている。好きなことをすることは良いことだと思う。だから、それ自体を否定するつもりはない。ただ、好きなことだけで生きていくことの意味をちゃんと理解しているのだろうかと思うことが多い。
最初に言っておくけれど、何もキツい下積み時代が必要なんて事を言うつもりは毛頭無い。
「好きなことで生きていくんだ!」というキラキラしている人を見ていておもうのは、「快楽主義」だけに陥ってない?っていうこと。Wikipediaでの解説は次のとおり。
快楽主義(かいらくしゅぎ、英: hedonism)は、感覚的な快楽を幸福と捉え、これを産出する行為を正しい・善いとみなす倫理学上の立場であり幸福主義の一種である。
いや、快楽主義そのものは良いんだ。これを否定するつもりはない。ただ、「好きなこと」っていうのが、「今のあなた」が好きなことだけに限定しているんじゃない?って思うだけ。
将来のあなたは、今のあなたが「好き」と感じていること以外のことを好きになっているかもしれない。もしかしたら、今は「嫌い」と思っていることを好きになっている可能性だってある。
それなのに、今のあなたが好きなことだけに限定して、今、好きになれないことをどんどん排除していくと、結果として、あなたの可能性そのものを狭めているように感じるから、本当にそれでいいの?と疑問を感じるというわけ。
僕が考える「好きなことだけで生きていく」っていうのは、好きなことを増やして生きていくということ。だから、今、好きかどうかは基準にはない。未来の僕が「好き」でいて欲しいかどうか基準となっている。
苦手だと思えること、難しいと思えることほど、やれるようになると面白くなる。というか、苦手なこととか、難しいことっていうのは、たいがいの人にとっても同じように苦手なことや難しいことだったりする。だから、できるようになればそれだけで「すごい人」になってしまう。自分で自分のことを、「あれ?俺ってすごくない?」なんて思える瞬間が来ると、それはもう楽しい。楽しくて仕方がない。だから、もっとできるようになろう。もっと「すごい人」になろうってのめり込んでいく。
これが「好きなことだけで生きていく」っていう生き方だと思っている。自画自賛の自惚れと言われるかもしれないけれど、自(うぬ)に惚れもしないで、誰がそんなあんたに惚れてくれるんだよ。
なんか、それ好きになれないんだよなー。なんか、モチベーション湧かないんだよなー。なんか・・・。
言い訳は良いから、やってみてから言いなよ。
やってみたけれど、イマイチうまくできなかった。そりゃそうでしょう。だって経験不足なんだから。で、その後、それができるようになったら「すごい人」だと自画自賛できそうかどうかで判断すれば良い。
こうして、色んなことにチャレンジしてみて、あ、すごいかも、と思える瞬間を増やしていって、自分ができることを増やしきってから、人生の後半で、じゃあどれに絞って生きていこうかなーってやれば良い。発散もせずに収束させたら、人生も収束してしまうよ。
だから、「好きなことだけで生きていく」っていうのは、自分ができることを増やしていくこととセットにして語るべきだと思っているし、好きになれることを増やすために延々とチャレンジし続けることだと思っている。
昨日できなかったことが、今日できるようになるかもしれない。その可能性を自ら捨てるようなことはして欲しくない。今、できることだけで、人生を決めちゃもったいないよ。今、好きなことだけで人生を絞ってしまったらもったいないよ。
人生を収束させるのは、老人になってからで十分だよ。