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ギャルみたいなスマートフォンを持ち歩いていたときの話

はじめて親に携帯を買ってもらったとき、まず真っ先に考えたのは、どうやってこの携帯を「デコる」かということだった。私の分身として、携帯には私の分までステキになってもらう必要があったからだ。

中学生の頃、私にはK君という仲のいい友人がいた。K君は「スパイダーマン」シリーズで主人公の友人として登場するネッド・リーズのようなずんぐりとした背格好をしていて、好きなことは食べることという、いかにもハリウッド映画に出てくる悪友らしい出立ちのやつだった。近所に住んでいた私とK君は、そこから中学校まで歩いて5分もかからないのにも関わらず、毎朝律儀に家の前で待ち合わせをして、一緒に通学をしていた。

K君の家には、当時まだ世に出始めたばかりの「ガジェット」がたくさん揃っていた。彼の両親がそういう仕事についていたからなのか、単に流行への感度が高い性分だったのか今となってはわからないが、最新のハイテクなおもちゃ(バカでかい玩具銃のNERFで撃たれたのを覚えている)やパソコン、携帯電話などの電子機器があれこれ家の中に並んでいた。そして、それは当時の最先端、憧れの的であった魅惑のApple製品——iPhoneも例外ではなかった。

初代iPhoneは2007年に販売されたものの、通信方式の関係から日本での発売はされていない。日本にやってきた最初の黒船、それは2008年に販売されたiPhone 3Gである。あろうことかK君は、それを私物として持っていたのだ。中学に入ってまだ間もない、親のノートパソコンを時折貸してもらうぐらいだった私にとって、自分のデバイスを持つなんていうのは夢のまた夢のこと。そんな私の前にK君はポケットに忍ばせた、丸みを帯びた無骨なシルエットだった頃のiPhoneを取り出して見せてきたわけだ。

相棒として輝く平たくて黒い塊を、私は心底羨ましいと思った。といってもK君は決して嫌味なやつではなく、そのiPhoneを私たち友人に惜しげもなく触らせてくれた。リリースしたばかりの『アングリーバーズ』を、彼の周りに集まった中学生の悪ガキたちは取り憑かれたようにプレイし、これが世界一面白いゲームだと信じて疑っていなかった。でも、そのK君の余裕が一層iPhoneを彼の相棒たらしめていたような気がしたのだ。短い通学路の最中や、彼の家で遊んでいる間にも「こんなアプリを入れているとおしゃれ」だとか、「アメリカではこんなiPhoneケースが流行っている」だとか、そんな話をたくさん聞いた。私は、いつか自分の相棒であるところの携帯を手に入れたあかつきには、最大限自分らしいカスタムを施してやろうと決意するのだった。

そして迎えた2012年。高校受験も終わり、卒業を待つのみだった私は「離れてしまう前に、みんなと連絡先を交換できるようにしたい」という抜群の口実のもと親を説得し、ついにはじめての携帯を手にすることになった。もちろん選んだのは最新機種のiPhone 4S。熟考に熟考を重ねた結果、私のiPhoneは以下のような装備になった。

  • 端末の両面を覆うタイプのステッカーをプロテクターとして使用(模様は原色でギラギラ)

  • ステッカーと両立させながら携帯ストラップを取り付けるため、サイドを覆うストラップホール付きのバンパーを装着

  • 各種キーホルダーや小さいぬいぐるみなど、本体より重いんじゃないかという量のストラップをぶら下げる

  • イヤホンジャックには飛び出たネジの形をしたアクセサリーを差す

出来上がったのは、ギャルの一品と見紛うレベルのゴテゴテマシンだった。完全に、長年募った「好きにカスタムしたい」という思いが先走りすぎた。たまたまこれがスマートフォンだっただけで、もう少し前に生まれていたのなら私は、ガラケーをラインストーンで埋め尽くしていたに違いない。今でもどうかと思う仕上がりだ。携帯がそうしてギャル仕様になったのは、中学生の私が普段から派手な格好を好んでいて、それに合うようにしたからとか、別にそういうわけではない。むしろ当時の私は制服に校則で義務化もされていないベストまでわざわざ着込むような、いかにも優等生面をした(悪く言えば頭の固そうな)生徒像だったと自覚している。私の携帯は、私から完全に浮いていた。

しかしゴテゴテのiPhoneを手にしたとき、私は心から嬉しかった。それは確かに自分が望んで、かつ自分の手で作り上げた姿だったからだ。当時の私は動画やテレビの向こうに見た自由にファッションを楽しむ人たちに憧れていて——特にきゃりーぱみゅぱみゅが好きだった——、でも彼女は自分とは全く違う場所にいる人なのだろうと考えていた。同じように何かを作ったり、ましてや自分も同じように着飾って振る舞うことができるなどとは、思ってもみなかったのだ。今考えればそのとき作り上げた携帯の姿は、心からの私の理想の形だったのかもしれない。ゴテゴテの携帯は私にとって黒歴史のようである一方で、自分で選べなかった姿を代わりに担ってくれていたものだったとも言えそうだ。高校に入ってしばらくして、「どう考えても使いづらい携帯を持ち歩いてる奴がいる」「頑なにカラオケできゃりーを歌おうとする新一年生がいる」と同級生や部活の先輩の間で噂されていたことを知った。いつしかステッカーは剥げ、ストラップたちもあまりの重さから取り払ってしまったものの、私はずっと「不釣り合いだった」自分の選択を誇りに思い続けている。


さて、今ではそんな経緯があったことが嘘かのように、iPhoneをケースも着けず裸で持ち歩いている。今どきケースも着けないのは初期のデザイン思想に心酔した熱心なスティーブ・ジョブズフォロワーくらいのもので、逆に少数派なんじゃないかと思う。令和の今もディスプレイが衝撃に弱いのは解消されておらず、床に落としたら一発アウトで粉々になるだろうというスリルに日々震えている。単純に裸の方が手触りがいいとか持ち歩きやすいからとか、なんとなくの理由でそのままにしているだけなのだが、もう今の私は外側の「何か」に頼らなくてもよくなったのかもしれないと、そう考えると自信も持ててくる。ケースは着けてもいいし、着けなくてもいいという当たり前の事実が、心の支えになってくれているということがおかしくてしょうがない。