引き寄せられて、その場所で光る
ここ数年「推し活」という言葉が世間に蔓延して、音楽ライブは一つの場所という価値を得たように見える。その反面、僕がその言葉から感じるニュアンスは、ライブハウスやアーティストを推している人達のコミュニティに所属してないといけないような雰囲気も感じる。
そもそも場所に馴染むのが昔から苦手だったこともあり、その風潮がとても窮屈で、それってなんなのだろうか?と、ここ3.4年くらい考えてる。居るのが難しいと思う場所が他の人より多く感じていた孤独をポップスとロックに救われながら生きてきた。
救われたというより、どちらかというと吸い込まれたという表現が近いかもしれない。みんなが好むような場所には引力を感じなかったけど、ポップスとロックには引力を感じた。
少々現実味のない話だけれど、僕は人が関わる事象の全てが引力によって引き寄せられていると思っている。世の中が宇宙で、そこにある物や、場所、人を、星と見立てる。星には地球と同じで引力があり、出会うと吸い寄せられる。
書いてて思ったけれど、ロマンティックすぎるかもしれない。(過去に活動休止したHalo@四畳半というバンドの影響をかなり受けている自負がある。)
そういえば、世の中には「違う星の人間」という言葉がある。SNSだと理解の難しい人間を揶揄する言葉として使われてることが多いけれど、むしろ違う星にいるのではしょうがないかと思えるようになった言葉なので、僕はかなり肯定的な意味でその言葉を使うようにしている。
今年の春にPUNK SPLINGというライブイベントに足を運んだ。
洋楽パンクロックにフォーカスを当てたイベントだったので、日本の音楽ライブのように何か場所に所属しなくてはいけない雰囲気をその日は感じなかった。
好きに楽しんで良いよと言ってくれているような世界に見えた。用意された時間をただ楽しめば良いだけ。誰も場所を押しつけない。ただ楽しめばいいという状況に引力を感じた。
会場への道中は中学の時から聞いてたNeck Deepを生で見れるのが本当に楽しみだったし嬉しかった気持ちしかなかった。こんなに純粋にただ楽しみなだけのライブは久しぶりだなと思った。
あの頃の自分に教えてあげたい、クラスで君以外の誰もNeck Deepを聴いてないかもしれないけれど、相変わらずそのバンドはヒーローだよ。
ここ最近は人間の所属欲、承認欲について書かれた書物を本屋で見かける度に立ち止まってペラペラと読んでしまう。どこか場所に属していたい気持ちが人間の根底にはあって、それがここ数年のSNSでのコミュニティ文化の脅威的な広がり方と関係があるんじゃないかと考ているからだ。
SNSの発達でインターネットが日常化されて、コミュニティが見える場所に産まれたことで各々が所属欲を満たせる場所を見つけやすくなり、音楽シーンもそういった場所になった。
けれど人が増えるほど疎外感を感じてしまう性格の僕にとっては少々複雑な気持ちだった。好きなものは広がってどんどん売れて欲しいと思う反面、なんだか遠のいていくのは寂しいような気持ちにもなった。
数年前、音楽誌「音楽と人」でBRAHMANのTOSHI-LOWさんとSUPER BEAVERの渋谷龍太さんがインディーズ音楽にフォーカスを当てた対談記事で”アンダーグラウンドのシーンが排他的になっている”と仰っていたのがずっと心の中に引っかかっていた。
過去に僕はアンダーグラウンドという場所が光だった時期があった。なぜだか受け入れられている気がしたし、やはりそこには僕と同じように沢山の孤独があったし、それを持ち寄ることで僕は孤独じゃないと感じた。
けれど今、アンダーグラウンドに光を感じなくなっている。さらに言うと、アンダーグラウンドという名前の推し活の場所として見えている。
ここから書くことはあまりにも個人の見解すぎるので言葉に迷うけれど、推し活という言葉がポップなものとして捉えられすぎていて、アンダーグラウンドの孤独を受容し合える優しい風潮やそこでしか摂取できない安心感が打って変わって、そのコンテンツの推し方を他人に押し付け合うような雰囲気に変わったように思っている。
自身の生きづらさや正義を押し付けて正当化させようとして、なんとか自分の居場所を守ろうとする攻撃的な人間も何人か見たことがある。コンテンツが広がってそこに元々居た人が新しく入ってきた人に強烈なマウンティングを取る様も正直怖い光景だと思っている。
けど、それも仕方がない。今や世間的にはアンダーグラウンドも推し活の場所(星)なのだ。
そうか、やはり排他的だ。書いてて気づいたけど、僕もちゃんと弾かれてしまっている。
ぐだぐだ書いてきて何が言いたいかというと、僕は推し活という言葉が嫌いだ。
マイノリティだからこそ価値を感じていた場所がその言葉のせいで今やそうじゃなくなってきている。思いたくなくても場所を意識してしまう。好きなことなのに、生きづらさを感じる。
僕のようなマイノリティを感じている人はこの先どこに向かうべきなのだろう。
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先月末に、初めて宇多田ヒカルのライブを見た。
前述でいうところのオーバーグラウンドな音楽で、唯一小さい頃からずっと宇多田ヒカルにだけは引力を感じていた。こんな事を書くのは烏滸がましいが、昔から宇多田ヒカルも孤独に見えた。
18歳までの田舎という星(あえてそう書く)にいた頃、何もすることが無かった。暗喩でも卑下でもなく、文字通り本当に何もすることが無かったし、できることが無かったのだ。
あったのは親父が好きなゲームソフトがいくつか、あとは家族みんな音楽が好きだったので大きなコンポとテレビと本くらいだった。
好きなゲームとドラマがきっかけで宇多田ヒカルを聴き始めた。なんとなく聴いていると一緒に一人を共有してくれるような気持ちになれるのが好きだ。
ライブは"time will tell”から始まった、ライブ中僕はずっとその曲を聴いてた時期の自分の姿を懐古しながら2時間半のライブを過ごしていた。
宇多田ヒカルとはあまりにも同じ時間を生きすぎてる。
この曲を聴いてる少年期の頃は、歌詞の中で何度も連呼される「時間が経てば分かる」という言葉の意味が本当の意味ではよく分かっていなかった。
大人になってから分かったけれど、この歌詞の美しさは、時間が経てば「解決してくれる」や、時間が経てば「忘れる」じゃなくて、時間が経てば「分かる」という表現を使っているところなんじゃないかなと思った。
どういうことなのか理解できることはあっても必ずしもそれが解決してくれるわけじゃ無いことを、僕は短い人生ながら何度も経験してる。それを忘れなかったからこそ生まれた尊い感情があることも知っている。
僕の書いてきた自分史いわく、この世の全てが星であるのなら、その星を光らせるのはやっぱりそこに注がれた気持ちや情熱だ。
なぜ好きなのか、なぜ嫌いなのか、なぜそうしたのか、逆になぜそれをしないのか、誰と合うのか、誰と出会うのか、何と合うのか、何と出会うのか。
経験したことをその場ですぐに言語化はできなくても、時間を経て経験同士が線で結ばれてそれが今自分の頭で言語として輝いている。(「線で結ばれて星座になる」と書きたかったけれど、ロマンティックすぎるので割愛)
その長い時間、道中を宇多田ヒカルと一緒に生きてきた人生だった。そうか、どうりであまりにも長い付き合いだと思ったわけだ。
ライブは本当に最高のライブだった。今でも思い出すと涙が出そうになるくらい強烈に心に残った。
変な感覚なのかもしれないけれど、オーバーグラウンドな音楽の場所で一人になれた事に引力を感じた。場所に属した人達ではなく、広い会場の中で間違いなくただ単純に宇多田ヒカルのことが好きな一人だったことが嬉しかった。彼女の歌が好きなただの一人の人だった。
その日一緒に見にいった友人も僕と同じでドラマがきっかけで昔からずっと宇多田ヒカルを聴いていた人だった。その友人は最近合わないと思う人との縁を減らし自分が合うと思う人間との関わりを増やすようになって心が豊かになったと言っていた。
インスタ映えするようなおしゃれな店よりも少々小汚い店の方が好きだと言い、ライブの後は野毛の飲み屋に行った。
一緒に宇多田ヒカルに関する思い出を語り合ったり、嫌いなものの悪口を言ったり、楽しい時間を過ごした。
僕はその友人の星に引力を感じている。自分の経験や気持ちを楽しそうに話す人だ。その光が好きなので、合う人間の一人になれていたらいいなと思った。(その人はお酒を飲むと「嫌な奴とは縁切り縁切り〜!」とふざけて笑っていたのが面白かった。笑)
でも、昨今世の中ではそんな友人のように自分の気持ちを吐露することの価値がほとんど無くなってきている。極論や効率の価値が持て囃され始めてからもう結構な年月が経つ。
もうさ、勘弁してくれよ。僕は人の気持ちを知る時しか面白いと思えないんだから。みんな自分の居場所を守るために隣の場所を燃やし始めてる。
こうして長々と家の近所のガストで自分の気持ちを吐露する文章を書くのだってきっとSNSでは嘲笑されるのだろう。ガストのドリンクバーでその日の気分に合った飲み物を飲みながら駄文を書くのが好きなだけなのに。
隣の席に座っている子供連れの親子。おそらく3歳くらいの子供がサイゼリヤが良かったと泣き喚いてる。すごいな、その年で自分が引力を感じる場所をはっきりと認識して伝えられるのは子供の才能だ。
僕も昔は君のように自分の好きなことがわかってもらえないと泣いたりしてたのかな?
ガストとサイゼリヤ。ファミレスの形をした星たち、それぞれの引力と光。それで良いのに。それぞれ違うから面白いのに。
このnoteだって、4091文字の文章という形をした僕の光。イタイ、厨二病、お気持ち表明、きっと僕のことを嫌いな人からは散々言われているのだろうな。
まぁでも、仕方ないか。だって違う星の人間なんだから。