担当が武道館いってくれるから生きる
10年ずっと大好きな自担が武道館でライブをすることになった
これは、一度は全ての夢を諦めたアイドルヲタクとその担当の何でもない10年間の備忘録です
2011.05.07
10年前、私は純度100%純粋なジャニヲタだった。と言っても、1番贔屓は当時もオリコンランキングを席巻していたグループで好きなジャニーズJr.も今や10周年を目前にしたグループに所属している子、アイドルの顔を見るのは好きだったのでW誌を全ページ見る程度だ。
分かる人には分かると思うけれど、毎月7日はアイドル誌前半3誌の発売日だ(今がどうなのかは知らない)。例に漏れず2011年の6月号も発売日に買いに行った。毎月ジュニアのページまで確認するのは新しい顔がいないか気になるからだ。そして新人がいればプロフィールまでくまなく確認する。1番重要な項目は「尊敬する先輩」だったと思う。その理由は、当時の担当(勿論、嵐の誰かです)を「尊敬する先輩」に挙げるジュニアに出会ったことがなかったからだった。他のメンバーはかなりの確率で挙げられるのに、担当の名前を見たことは記憶になかった。理由は大体察することができる。所謂「この人みたいなアイドルになりたい!」という方向に秀でた人ではないからだろう。当時の担当は表舞台よりも裏で表をどう見せるかを気にするような人だった。
そんな人の名前を挙げたジュニアに出会った。
何人ものプロフィールが並ぶ中、その子だけ輝いて見えた。今の時点で誰とは名前を出すつもりは無いので詳しくは言えないが、自担との共通点もあった。運命なんじゃないかと、ガキながらに思っていた。
これが全ての始まりでした。
2012夏
その子、Aくんはグループに所属することになった。その当時ジュニアでグループを組む=舞台班という方程式があったくらいだから、心の奥底では悔しかったことを覚えている。この子はもっと前で輝くべき存在なのに、と。舞台の為に結成したようなグループだ、そのうち…と思っていた。
Aくんは…というかAくんのオタクになった私は、このグループで大切な人に出会った。Aくんのそばにいてくれる人とAくんの心のそばにいてくれる人。私はこの2人に支えられてAくんのオタクをしていたと言っても過言ではないくらい、大切な2人だった。
2014春
私はAくんと出会い直した。
この間まで黒髪だったのにな、とBSの音楽番組を見ながら呟いたことだけは覚えている。ドラマの役で金髪にしたらしい。似合ってる、顔も少し変わった気がした。
変わったのは髪色だけではなかった。2年前に結成されたグループではない所で踊るAくん。「もっと前で輝く存在」になっていた。その中で変わらなかったことが1つだけあった。Aくんの心のそばにいてくれる存在・Kくんと一緒にいることだけは変わっていなかった。それだけが嬉しかった。
2014夏
Aくんはドラマの主演を務めた。そしてこの頃には最初に結成したグループではなく、Kくんたちと歌って踊ってアイドルをすることに特化したグループで活動することが増えていった。Kくんと一緒で嬉しいという気持ちの陰で「元のグループだって最高なのに」という気持ちが芽生え始めたのもこの頃だったと思う。
新しい方のグループをアイドル寄りと例えるなら、元のグループは職人寄りだ。Kくんはそのどちらにも対応できる、天才のような存在だった。それに追いつきたくて仕方がなかった自分はAくんのダメな所に目がいくようになってしまう。
2015.01.05
Aくんは怪我をした。前日の稽古中に足を負傷し検査の結果中足骨骨折でした、というメールが届いた。未だに読めない中足骨。数日後から元のグループでの舞台公演が始まると言うのに、1年ぶりに全員で舞台に立つと言うのに。
本当に、運のない子、10年経った今でもそう思う。それの1番最初がこの出来事がだった。結局千秋楽まで復帰することは叶わなかった。松葉杖をついて挨拶をしたというレポに黒髪でした!という文字を見つけて「おかえり」と呟いた。
黒髪も、グループも。
2015冬
Aくんは武道館に立った。
まだ4年しか経ってないじゃないか、と思った方もいるかもしれないですがAくんは2015年に武道館に立ちました。事務所の大先輩の周年記念のライブツアー、その最終地が武道館だった。このツアーはバックダンサーを務めるジュニアが開催発表の時点で公表されていた。元いたグループ初の大仕事だった(もうこの時点でKくんたちと歌って踊っていたグループは自然消滅していて、残りのメンバーは今飛ぶ鳥を落とす勢いのグループに変わっていた)。貴重なチケットを無事手に入れ、学校を休み東京へ向かった。
私はこの時初めてAくんを生で見た。生で見るのに4年かかった。グループ全員でいられることが嬉しくて、全員分の写真を買って大切に抱えて家まで帰った。
2016.01.07
年を越してもグループが残った。奇跡だね〜なんて同じグループのオタクだった友達と大阪城ホールで笑っていた。
そして、これがこのグループのAくんを見た最後の現場になった。
2016春
Aくんのそばにいてくれる存在・Mくんがグループの掛け持ちを始めた。元々数多くのジュニアとパフォーマンスをすることが多かったMくんがグループの兼任を選んだ。
2016.05.21
そして、Mくんの兼任先のグループの単独公演にAくんがゲスト出演した。4人グループに3人のゲスト。この7人で何度か雑誌に載ったよなあ、と思い出し全て伏線だったのだろうかと陰で泣いた。
私は元のグループが大好きだった。
舞台の為に結成され、その舞台も劇場の閉館と共に2015年に終わりを迎えた。いつ名前が無くなってもおかしくない、年は越せないと思っていた。結局名前は無くならなかったし、年も越した。元のグループで全員揃って単独公演もした。事務所に需要を伝えたくて出る写真は全て買った。それぐらい大好きだった。
2016.08
Aくんは元いたグループを脱退した。
それは突然の発表ではなく、誰もが分かっていた必然だった。5月のゲスト出演以降、AくんはMくんと同じようにもう1つのグループとの掛け持ちを始めた。そして少しずつ兼任先への比重が増えていった。
夏の始まりに元のグループが先輩の舞台に出演するというメールが届いた。9人グループの名前の後ろには8人の名前しか書かれていなかった。掛け持ちしているMくんや一緒に別の括りでも活動していたKくんの名前はあるのになんで、という気持ちよりも先に「やっとか」という気待ちでいっぱいになった。やっとグループの1番端を離れられる、ダンスだけにとらわれず好きなことをやらせてあげられる、今思えば酷い言葉だっただろう。それでも当時は哀しい気持ちの中にどこか嬉しさが共存していた。
Aくんが元いたグループ最後の日の公演のチケットを、私は持っていた。そして手放した。最後を受け入れたくなかったから。掛け持ちしているグループの公演は何度も見に行った。そんな中でやっぱり最後も見届けたいと思い、チケットを買い直した。
買い直した、けれど無理だった。最後だということが嫌で「最後の日」に小さくなるまでちぎって捨てた。その日の最後の公演は、AくんとKくんが並んで終わったという。「おつかれさま」その一言で私は救われた気がした。
2017夏
Aくんは外部のミュージカルで主役を演じた。それまで歌もダンスも演技が良くも悪くも普通だったAくんは、ハタチを迎える頃には見違えるほどに成長した。
それと時を同じくして、Mくんが元のグループを脱退した。「Aと同じことをするのか」と非難は1年前以上だったと思う。なにかと並べて考えられる2人。特にMくんはダンスに特化したグループの中で秀でていて、ダンスを捨ててまでやりたいことを問われていた。
捨てたわけじゃない、やりたいことがやれる場所だっただけだ。
あの頃の誰にも理解されなかった言葉だった。
2017.10
AくんはZeppに立った。
Mくんと移籍したグループは、バンド演奏に秀でたグループだった。グループが7人になってから(Mくん含める初期メンバー4人に追加し、Aくんの他に2人後から加入しました)1年と少し、まさかこんな日が来ると思っていなかった。7人しかいない舞台、7人の為に作られた舞台、何もかもが新鮮で嬉しくて幸せ以外の感情はなかった。
運良く手に入れた早番のチケット、3列目で久々に見るAくんは誰よりもかっこよくて素敵だった。
唯一のグッズのTシャツ、連日売り切れで最終日の朝7時から並んで15時の販売開始を待ったのも、今では大切な思い出の1つ。各色1枚、なんとか手に入れたTシャツを着るのがもったいなくて大切に鞄にしまった。
2018
オタクの勘はとても鋭いと改めて実感した。
年末から滲み出ていた悪い予感は、匂わせられる前から既にバレていたような気がした。大阪での合同コンサートで自グループのファンと「今回は数に出さなきゃね」「とりあえずメンバーのは買おう」などと顔を合わせる度に話した。使命感、義務感、そんな言葉で片付けられるような雰囲気ではなかった。幸いAくんのグッズは早い時間に売り切れになり、数を示すことができたと思う。
「なんでまだ残ってるのに売ってくれないの!」
1度の購入での個数制限がある中、何度も並んでいた他のメンバーのファンが泣きながら言っていた言葉だ。夜も遅い会場の閉められたパーテーションの前でグッズを抱えていたあの姿は一生忘れられないと思う。それぐらいあの時の私たちは必死だった。
それからしばらくして、YouTubeでチャンネルを開設するという発表がされた。しかし、そこに7人の名前はなく「7人には伝えたが興味を示さなかった」という不自然な言葉だけがあった。新聞にもネットニュースにも書かれたこの言葉は、自称関係者の言葉ではなく公式のリリースによるものだった。
春を過ぎると徐々に減っていった露出。毎週出演していた番組は、エンディングに「またね〜!」と言い残しそれっきりになった。再会を違う言葉を信じ待ち続けていたが、何も音沙汰はない。
夏前にAくんはとても有名な作品が原作の映画に出演した。自分の行動が少しでもAくんの評判に繋がればと、何度も映画館に通った。仕事前にも仕事後にも観た。寝落ちしてしまって劇場スタッフに起こされることだってあった。それぐらい必死だったらしい。
夏も終わりに近付いた頃、毎月7人で載っていた雑誌に7人で載らなくなった。グループの名前も出なくなった。
もう仕事も残ってないし辞められる人は年末で、仕事が残ってる人はそれの更新時期まででいいやなんて思いしか残っていなかった。実際そういうツイートは自分のアカウントを遡れば数多く出てくる。
そして、7人が7人じゃない日々に慣れてきた頃、予感していた未来は現実に変わった。
2018.11.30 19:00
***内ユニット「○○○○」に関するお知らせ
平素は格別のご高配を賜り厚く御礼申し上げます。
***内ユニット「○○○○」につきまして皆様にお知らせがございます。
この度、○○○○のメンバー7名が**事務所を退所いたしますことをご報告申し上げます。
今までご支援を頂きました関係者の皆様、そして何より応援してくださいました皆様に深く感謝申し上げます。
メンバー7名は、10代の頃から***として活躍してまいりましたが、20歳を過ぎ、一人の社会人としての将来を考えておりましたので、この数ヶ月間、メンバーと事務所との話し合いの場を持って参りました。責任ある立場の者がメンバー全体、そして個別に話し合いましたが、7名それぞれが自分の道を進みたいという意志は固く、退所という道を選ぶこととなりました。
メンバー7名の退所時期につきましては下記の通りになります。
(中略・Aくん含め5名が11月30日、Mくんが12月31日、リーダーが翌年3月31日)
○○○○のメンバー7名につきましては、数多くのコンサートや舞台で先輩達のバックを務め、***内におきましても中心メンバーとして活躍してまいりましたので、弊社としましては、メンバーの意思を尊重することに致しました。今まで彼らを応援してくださった皆様におかれましても、彼らの選んだ道を温かく見守って頂けましたら幸いでございます。
改めまして、これまで○○○○を応援してくださり、深く感謝を申し上げますとともに、残る期間、頂いておりますお仕事に対して誠心誠意の活動をさせて頂きますので、温かいご声援をよろしく申し上げます。
残る期間?いや、5時間しかねーじゃねえかよ!!!!!!!事後報告やサイレントでの退所も辛いけれど、これはこれでキツすぎる。せめて24時間くらい余裕を持って発表してくれ!!!馬鹿馬鹿しすぎてスマホを投げつけたけど、その後お風呂に入りながら疲れるくらい泣いた。明日からAくんがアイドルじゃなくなってしまうことが辛すぎて無理だった。
0時になるまで起きていた。ツイッターのタイムラインでお通夜状態だったのは私含めてそのグループのメンバーに担当がいる人だけだったと思う。それがまた辛かった。あんなにちやほやされていたはずだったのに、事務所のブランドが無くなると見えないものになってしまう世界が悲しかった。
いつか武道館で!と願った夢はこの日諦めた。
その代わりに、いつか舞台で、できることならAくんの素材を活かせる2.5次元で活躍しているAくんを見たい!という夢が生まれた。
10年Aくんを好きでいるつもりだったけど2年足りなかった、から、またどこかで会おうね!ずーっと好きだよ! ー当時のツイートより
2018.12.01 12:00
事務所のサイトからAくんのプロフィールページが消えた。
2018.12.10
同じ苗字の芸能人が集まる会の写真にAくんがいた。
少しだけ期待してもいいのかな、と思った。
2019.01.11 20:30
Aくんがインスタグラムを始める。
翌日にはフォロワーが10万人になっていた。
その後関東ローカルではあるが、7人のうちの1人と一緒に番組に出演した。そこで発表された3月31日のイベント。残された1人の退所日だった。7が並んだチケット代。もしかして…、そんな思いがファンの中を駆け巡った。
2019.03.31
オタクの勘はやっぱり鋭い。
出演は一緒にテレビ出演した2人と見せかけて、「Aくんのインスタのあの絵を描いた人は?」など見知った顔が次々とステージ上にやってくる。
その日は生憎外せない仕事で休憩時間にライブ配信を見ていたが、1人2人と出てくる度に安心したのを覚えている。リーダーの退所日に残りの6人が再集結なんてあり得ないと思っていた。
ああ、きっと、7人になる
6人が笑い合ってる姿を見てどこか安心した。
2019.05.22-
この日から全てが変わった。
6人に最後の1人が合流し、再び歩み始めた。7人で舞台もしたし、ライブもしたし、上海にも行った。個人で舞台に出るメンバーもいた。
でも、どこか寂しかった。
Aくんが、ただのインスタ担当・映え担当・顔担当でしかないように見えることがあった。特に絵が描けるわけでも、音楽が作れるわけでもない。センターにいることが取り柄だと言われ続けてきたからこそ、何か欲しいと思ってしまった。
2019.09.20
Aくんがまた大役を掴んだ。
私の大好きな2次元コンテンツの舞台化だった。Aくんたちの露出が減り、そんな時に出会った作品の2.5次元舞台。思ってもいないところで夢が叶った。友達からの鬼のような数のライン、何度も何度もおめでとうと言われて自分のことのように嬉しかった。初演で主役の片方。荷が重すぎて私が潰れてしまいそうだったけれど、本人のマイペースさが良い方向に進めてくれたようでよかった。
最終的には原作のファンの方にもたくさん受け入れてもらえて、中にはAくんのファンになりました!という方もいて幸せだった。
あとこれは私信ですが、ホ。ケモンの通信してくれてありがとうw
2020
こんな世の中になるとは思っていなかったが、主演の舞台も配信で上演することができ、グループとしても既にCDを2枚も出している。コロナで日の目を浴びずに無くなってしまった仕事もあっただろうけど、いまのところ不満ない1年だ。初演キャストに選ばれたあの作品も4作目の上演が決まり、今回は地方公演もある。個人で地方回ってくれるのも夢のようなものだったから嬉しかった。
2020.10.31
夢かと思った。生配信を見ながら寝落ちして、「武道館」という言葉が聞こえて目が覚めた。まだ夢の中だと思っていた。
メジャーデビュー…武道館ライブ…、
叶えたかった夢がここにあった。あの事務所を辞めて、初めて「辞めても良かった」と思える日が来た。
僕は個人的にはアイドルが好きなので 、舞台では俳優でしたけど 、それもアイドル寄りの俳優というか 、完全なるアイドルではないけれど 、アイドルという部分は忘れてはいけないなと 。一生アイドルの部分はあると思います 。
ーユリイカ2019年11月号より
私は「アイドル」のAくん、もとい阿部顕嵐くんが大好きです。出会ったあの日から嫌いになったことなんて一瞬もありません。
ダンスが上達しなくて、周りが見えてない瞬間があって、本音が分からなくて、あなたを見てイライラしてしまう時もあったけれど、一生アイドルでいてくれるあなたが大好きです。
「idol」本来の意味は「偶像」です。手の届かない存在、それがアイドル。でも、あなたに出会えて目の前でキラキラしているのもアイドルだと知ることができました。ほとんどの人はあなたのことをアイドルと呼ばなくなったけれど、私にとっては一生一番のアイドルです。
アイドルでいることを選んでくれてありがとう。
私の夢を叶えてくれて守ってくれてありがとう。
これからも素敵な景色を見に行こうね。
武道館ライブ、本当におめでとう!!