ぼくはドラえもん総集編を読む

 ぼくは『ドラえもん総集編』を読む。『ドラえもん総集編』というのは小学館から発売されているA5サイズのコミック誌で、藤子・F・不二雄作『ドラえもん』の傑作エピソードばかりが載っているやつだ。1冊に50話収録されていて、春・夏・冬の年3回発売されている。

 去年の1月に彼女と一緒に川崎市の藤子・F・不二雄ミュージアムへ行って、藤子・F・不二雄のSF短編『流血鬼』のことが気になって、その『流血鬼』が特別収録されているからということで『ドラえもん総集編 2023冬号』を買って以来、ぼくは『ドラえもん総集編』が発売される度に『ドラえもん総集編』を買っている。その話は「ぼくは藤子・F・不二雄のSF短編に感動する」という記事に書いた。懐かしいなあ。

 大学生なのに、しかももうすぐ社会人になる大学4年生なのに『ドラえもん総集編』を買っている人間というのは珍しいんじゃないかと思う。いや、全然いないわけはないですけどね。もしかしたら全国に数百人ぐらいいるかもしれないけど、まあでも『ドラえもん総集編』の購入者の中では明らかにマイノリティだと思う。

 そのことは、『ドラえもん総集編』の各ページに載っている「読者からの応援メッセージ」の欄を読んでも分かる。そこにメッセージを寄せている読者は全員子どもである。「ドラえもんとなかよくなりたい! 福岡県ひなた」とか「のび太くん宿題がんばってね! 岐阜県みく」とか。メッセージ欄に投稿者の年齢は記載されていないが、筆跡的にどう見ても小学生が書いたものであろう。目次やお知らせのページに書いてある漢字には平仮名のルビが振ってあることだし、間違いなく『ドラえもん総集編』は子ども向けのコミック誌であり、現に子どもが読んでいるコミック誌なのである。

 実際、ぼくの周りの20歳前後で『ドラえもん総集編』を読んでいる人間は一人もいない。いまでもたまにテレビで『ドラえもん』を見ているという楢崎(地元の友人)は「『ドラえもん総集編』? ああ、コンビニで売ってるやつ?」とリアクションしてくれたけど、それ以外の20歳前後となると、『ドラえもん総集編』というコミック誌が販売されていること自体を知らないやつがほとんどじゃないかな。

 では、なぜぼくは『ドラえもん総集編』を読んでいるのか。『流血鬼』が特別収録されていた2023冬号だけじゃなくて、それ以降も『ドラえもん総集編』を買い続けているのか。「習慣になってしまったから」とか「表紙のかわいさに惹かれて本屋さんでつい手に取ってしまうから」とか色々理由はあるが、最大の理由は「面白いから」。これに尽きる。『ドラえもん』は面白いのだ。とにかく面白いのだ。

 半世紀以上前の漫画をつかまえて今さら「面白いのだ」とか言うのはナンセンスな気もするが、いや、『ドラえもん』って本当に面白いんですよ。ぼくは小学校低学年の時に近所の大田区立図書館でてんとう虫コミックス版『ドラえもん』を少し読んだ記憶があるけど、ぶっちゃけ、その時は『ドラえもん』にハマらなかった。テレビアニメ版・映画版のほうもまあまあ見てはいたけど、別に人並み以上にハマったわけではなかった。『藤子・F・不二雄の世界』という本を持ってはいたし、小学館から出ていた「ドラえもんと一緒に読書感想文の書き方を学ぼう」的な参考書も愛読していたけど、まあ、特筆すべきことがあるとしたらその程度のことで、ぼくは特に『ドラえもん』に思い入れはない子どもだったのだ。

 大学生になってぼくが『ドラえもん』の面白さに気付いたのは、ぼくが放送サークルで音声ドラマを作るようになって、「お話の起承転結がよくできているなあ」と感じられるようになったからではないかと思う。藤子・F・不二雄のSF短編もそうだけど、『ドラえもん』も本当にシナリオに無駄なところがなくて、精巧な劇作で、それなのに「濃密」というよりは「軽快」にお話が進んでいく。つまり、読んでいて気持ちいいんだよなあ。子ども向けの漫画だからって教訓めいたところや説教くさいところもないし。

 あとは、ぼくが大学生になって落語を聴くようになったことも関係しているのかな。『ドラえもん』を読んでいると古典落語のニュアンスを感じる時がある。といっても、古典落語のギャグやストーリーをそのまま引用しているわけではない。じゃあどこら辺が共通しているのかっていうと、現在では「社会不適合者」と片付けられそうな登場人物にもふつうに居場所や役割があることの安心感だろうか。一言で言えば「優しい世界」ということになるのだろうが、その「優しさ」があくまでもユーモアの中に存在しているところがいいんだよね。

 これは藤子・F・不二雄ミュージアムに行った時に知ったことだけど、実際、生前の藤子・F・不二雄先生は落語ファンというか落語オタクだったそうで、藤子・F・不二雄ミュージアムの1階にある書斎を再現したコーナーにも昭和の名人たちの落語のカセットテープが並んであった。古今亭志ん生も桂文楽もあったし、ぼくの記憶が正しければ桂歌丸や柳家小三治のカセットテープもあった。でも立川談志はなかった気がするな。

 話を『ドラえもん総集編』に戻すと、傑作集だけあって、『ドラえもん総集編』に収録されているエピソードはどれも面白い。初期の作品もあれば後年の作品もあって、それらがまぜこぜに収録されていることは絵柄の違いを見れば一目瞭然である(各話の最後のページにも「第○○巻 収録作品」などと出典が記載されているが)。初期の『ドラえもん』はドラえもんやしずかちゃんも言動がヤバいやつだったんだなとか、後年の『ドラえもん』ほど台詞の量が多くなる傾向があるんだなとかいうことも分かる。

 今年に入って読んだ『ドラえもん総集編』のエピソードだと、2024春号に収録されていた『ロボット・カー』や、2024夏号に収録されていた『ぼくよりダメなやつがきた』が特に印象に残ったかな。どっちも、無言姿が印象的な謎キャラが出てくるエピソードである。もしかしたらぼくは無口なキャラクターが好きなのかもしれない(マルクス兄弟のハーポとか?)

 あと、各話の合間に挟まっている「どらどらクイズ」っていうクイズコーナーも地味に楽しかったりする。そこに載っているのは子ども向けのなぞなぞや間違い探しなのだけど(漢字にはやっぱりルビが振ってある)、これが意外と難易度高めで、成人のぼくがやっても解き応えがあるのだ。いえ、単にぼくがクイズが苦手なだけかもしれませんがね。小さい頃からなぞなぞも苦手だったし。

 『ドラえもん総集編』の短所を強いて挙げるとすれば、月刊コロコロコミックと同じ仕様なのでかさばることかなあ……。まあ、それだけ分厚くて中身が詰まった本だということだからむしろ長所と言うべきかもしれないが、ぼくのような自宅の収納スペースに困っている人間にとってはありがた迷惑なのだ。あいにくぼくは読み終わったからって『ドラえもん総集編』を捨てる気にはなれない人間なもんでね……

 それと、『ドラえもん総集編』は今年に入ってから値上がりした。たしか2023冬号は500円(税込)か550円(税込)だったが、2024春号ぐらいからは600円(税込)に値上がりしている。この100円の値上がりはぼくのような貧乏学生にとってはバカにならない。ただまあ、この物価高騰の世の中だからこればかりはどうしようもないことではある。紙代やインク代自体が値上がりしてるもんね……

 ぼくは『ドラえもん総集編』を読む。なんか最終的に家が狭くて貧乏な人間の愚痴になっちゃったけど、要は、どんなに収納にかさばったとしても捨てる気にはならないし、値上がりしたとしても買うのをやめずにはいられないコミック誌、それが『ドラえもん総集編』だということだ。

 ぼくが『ドラえもん総集編』を買うようになってから早くも2年の歳月が流れようとしているが、読み始めてから現在に至るまでぼくが守っているマイルールがある。それは、1日に読むのは1話か2話に留めるということ。『ドラえもん』のエピソードはどれも面白いし、軽快に読めるし、何話も続けて読みたくなっちゃうけど、だからこそ一気に読んでしまったらもったいない。年に3回しか発売されないコミック誌だから、次の号の発売日が来るだいぶ前に読み終わってしまったら空腹感でめまいを起こしかねないし。そういうわけなので、ぼくは自分自身に「1日に読むのは1話か2話まで」というルールを課し、厳しく自分を律しているのである。

 すごいじゃん、ぼく。やればできるんじゃん、ぼく。まさか自分自身がこんなにも自制心を働かすことができる人間だなんて知らなかったな。『ドラえもん総集編』を読むようになって知った自分の知られざる一面だ。もっとも、『ドラえもん総集編』を読んでいる時以外にもこの自制心が機能しているかと言ったらそれは別問題なわけで、むしろこっちにリソースを割いてるせいで他の部分では自制心が働かなくなっちゃってる疑惑もあるわけで……ドラえもーん! なんとかしてー!

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集