ぼくはトロッコ問題が嫌いだ

 ぼくは大学で倫理学(正確には西洋倫理思想史)を専攻している。他人にそう話すと、だいたいいつも変な顔をされる。そのあとにぼくは「それってどういう学問なの?」と質問されたりもするが、「どうしてそんなものを学ぼうと思ったの?」と怪訝な顔で質問されたりもする。

 まあ、そうだよな。金融工学やiPS細胞の研究と違って、倫理学(ましてや倫理思想史)は「世の中の役に立つ」実利的な学問って感じではない。逆に倫理学で世の中をよくしたいと考えているやつなんて地雷すぎるし。言っておくが、ぼくはそういう意識高い系ではない。「教養を身につけ社会に貢献する深い人間性を育み……」みたいな先生方の説明も言い訳っぽくて嫌だ。ぼくはぼくにとって好きな感じのやつだから学科の倫理学系で思想史を専攻している。ただそれだけの話だ。

 ぼくの高校では一年生の時に「倫理」の授業があった。ぼくはこれが大好きだった。クラスにそんな人間は一人もおらず、学年全体でも倫理の授業を好きだったのはぼくだけだったんじゃないかと思うが、でも、ぼくは倫理の授業内容も大好きだったし、倫理の棚橋先生の生真面目な人間性も大好きだったし、特に倫理の資料集が大好きだった。

『新訂第2版 倫理資料集』(清水書院)

 ぼくはこういうキャラクター名鑑的なものを見ると興奮してしまう。デカルト、ヘーゲル、ヤスパース! マキァヴェッリ、ニーチェ、キルケゴール! いまでも倫理の資料集を開くとガチでハァハァ言ってしまう。ぼくは結局、キャラクターが好きなのだ。思想っていうよりも思想家、哲学っていうよりも哲学者が好きなのだ。ホッブズ、ロック、ルソーの「社会契約説三兄弟」(命名者:ぼく)なんてキャラ立ち具合が最高じゃないか!

 ぼくは「誰が何を言った」という話の「誰」の部分に価値を見出すってことなんだろうな。予定説は予定説自体に意味があるのではなく、カルヴァンというひとがあの時代にあの流れでああいう形で唱えたことに意味がある。ぼくはそう考える。単位がほしい倫理学徒の最低限の務めとしてぼくは思考実験や現代社会の諸課題とも向き合うが、興味の対象が思想史に偏っているのはそういうわけだ。

 だからぼくは「トロッコ問題」には何の興味もない。「トロッコが暴走している。このままだと線路上の5人が轢かれる。スイッチを切り替えればその5人は助かるが、別の線路上の1人が轢かれることになる。さあ、あなたがスイッチを握っているとしたらどうする?」っていうアレだ。ぼくが倫理学徒だと明かすと、よく相手から持ち出されることがあるアレだ。ぼくはこの思考実験には何の興味もない。「トロッコ問題」を提起したフィリッパ・フットの人生と思想には興味を持ち得ても、「トロッコ問題」そのものには興味がない。いや、はっきり言おう。ぼくは思考実験そのものにそもそも興味を持たないタイプの倫理学徒だが、一つの独立した思考実験としても「トロッコ問題」が嫌いだ。大嫌いだ。

 ぼくは「トロッコ問題」を馬鹿にしている。その問題設定自体に疑義を唱える。そういう風になったのは、高校生の時に『人間の条件 そんなものない』という本を読んだからだと思う。ぼくはこの本に早めに出合っておいてよかった。『ここは今から倫理です。』かぶれの連中の一人にならずに済んでよかった(不用意に喧嘩を売る発言)。ぼくはこの本に出合ったおかげで世界の見方が変わり、「同じ土俵で戦わない」「土俵そのものを疑う」という技を手に入れた。この本については彼女の由梨とのエピソードもちょっとあったりするので、また改めてnoteに書くことになると思う。

 ぼくが高校生の時に見たNHK Eテレの番組で、「トロッコ問題」が取り上げられたことがあった。うろ覚えなので間違っていたら申し訳ないけど、出演者のみちょぱ(池田美優)が「こういう話をまじめに考えること自体が気持ち悪い」、高田純次が「こういうのは国のエラい有識者のひとが考えればいいんじゃないですかね(呆れ)」とどちらも不機嫌な感じで言っていて、ぼくはみちょぱのことも高田純次のことも大好きになった。これこそが人間としての「真っ当な」リアクションだよなって。

 大学のゼミでぼくが問題設定自体に疑義を呈すようなことを(オブラートに包みつつ)言うと、当然その場に微妙な空気が流れる。おかげでぼくは、ゼミ教官の教授からもウザがられてる感じがする。ただ、ぼくはご自慢の愛嬌で乗り切る(ぼくはかわいい)。倫理学自体が「前提を疑うこと」を前提する厄介な学問だということもあって、ぼくはゼミ内で完全には浮かずに済んでいるはずだ。この前のゼミの飲み会では鎌瀬っていう女子がぼくの隣に来て、めっちゃボディタッチしてきたし。もっとも、ぼくはその件を由梨にうっかり漏らしてしまい、そのせいでぼくと由梨の関係は一週間ぐらい不穏だったわけだが(ぼくは何も悪いことしてないぞ!)。

 話がかなり横道に逸れた気がする。ぼくはここまでで「高校の時の倫理の資料集が好きだった」という話と「トロッコ問題は嫌いだ」という話と「彼女に不当にやきもちを妬かれた」という話しかしてない。トロッコ問題のどこがどう嫌いなのか、その問題設定のどこにどう綻びがあるのかという話をしていない。別にしてもいいし、実際ぼくはリアルの場面ではしてるんだけど、ただね、いまのぼくはそれを改めて文字にするのがめんどい。だってなんかもはやそういうノリじゃない。あなたにまじめな小論文を読んでもらえる空気じゃない。もうここまでで2,000字超えてるし。

 というわけで、最後にぼくがいちばん好きな思想家の名前を明かしてお茶を濁すことにしよう(脈略なさすぎる)。ぼくがいちばん好きなのはアルベール・カミュだ。一般的には小説家として理解されているだろうが、倫理の資料集の「その他の実存主義者」のページに顔写真入りで載っていたんだからしょうがない。ぼくはそれがきっかけでカミュを知り、カミュに興味を抱き、古本屋サイトで『カミュ全集』全10巻(1970年代に出版されたやつ)を買ったのだった。カミュはいいぞ。ぼくは心酔してるぞ。これは余談だが、カミュの命日とぼくの誕生日は一緒だ。ここだけの話、ぼくは自分はカミュの生まれ変わりなんじゃないかと思っている(なぜそうなる)。

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